- 戸田:
- 有川さん、今日もよろしくお願いいたします。
- 有川:
- こちらこそよろしくお願いします。
- 戸田:
- 今日はどんなお話ですか。
- 有川:
- 性善説と性悪説がありますでしょう。日本人はどちらかというと性善説に傾くというか、そう信じている人が多い国だと思います。
- 戸田:
- ええ。
- 有川:
- ところが、これが子どもの教育の話になると、その日本でも多くの大人が性善説に距離をおいてしまう。子どもは放っておくと、つい怠けてしまう。だから導き、ときにはチェックし注意しなければならない。そう考えがち、これでは子どもに信をおくことにならない、性悪説ですね。
- 戸田:
- そうなりますね。
- 有川:
- 絵本の出版にも性悪説をとる会社と性善説の会社が二通りあります。「これは子どもに分かるかなあ。大丈夫かなあ」と思うグループの出版社。もうひとつは、「なんと言ったって子どもだって人だから十人十色、分かる子もいれば分からない子もいる。なによりもおもしろければ分からなくても大丈夫。気にしすぎると、絵本に勢いがなくなる」と考える出版社。
子どもに信をおくか、おかないかの二つです。
前のグループの会社は分かる分からないかを気にしますから、当然、説明的な絵本を作る傾向になります。後者の出版社は平気で余白の多い絵本を作ったりする。となると子どもにとって分からないところは当然でてくる。しかし子どもの分かる分からないかより作者自身がおもしろいと思う絵本をつくる。すると、そんな作者の思いを子どもは感じとるものです。なによりも子どもの感じとる力を信じる。子どもは大人と比べると、分からないことについてはへっちゃら。分からないから困っている赤ちゃんを見たことがありますか。
たとえば俳句の絵本、「ふくわらい ぼくはたちまち にんきもの」。これが俳句だけだと何がなんだか分からない。
ところが、絵があるとなんとなく推測できます。この推測、推し量ることがクセになるかならないか、子どもにとってとても重要です。
この俳句には、のっぺらぼうの絵が描いてある。
- 戸田:
- ああ、なるほど。
- 有川:
- のっぺらぼうですから、福笑いで人気者になります(笑)。
- 戸田:
- そうですね(笑)。
- 有川:
- 「ゆきどけの たよりをきいて あおざめる」
- 戸田:
- ゆきおんなでしょうか。
- 有川:
- そうです。なぜ「あおざめる」のかは書かれていない。省略されているから子どもは推測できる。
つづいて「うまれつき ちかづけないの だんろには」。 - 戸田:
- これもゆきおんなですね(笑)。
- 有川:
- 2歳になったばかりの女の子が、この絵本『妖怪俳句』が大好きで寝る前に「はいく〜、はいく〜」と言って持ってくるそうです(笑)。
2歳の子でも絵を見て推測する。「なるほどね」という心の動き、その動きを感じとっている自分。そんな自分を気に入ってるんでしょう。好きになるということは、そういった気持ちを楽しんでいる自分がいるということです。自分で自分を肯定しているんですね。自己肯定感、人生にとってとても大事なことです。 - 戸田:
- なるほど、そうでしょうね。
- 有川:
- 「子どもに分かるかなあ。分からないかなあ」と思っている大人たちからするとビックリですよね。2歳になったばかりの子どもが、大人からすると分かりそうもない絵本『妖怪俳句』を喜んでいるんです。と、なると「子どものことはよく分かる」と言う大人がいますが、かなりマユツバではないでしょうか。子どものことはわからないが基本です。
子どもの持っている可能性は、それぞれです。大人が一律に、さも分かったかのように子どもを年齢別で決めてしまったら、子どもの可能性を縮めてしまうのではないでしょうか。くりかえしになりますが、子どもも十人十色です。年齢を気にしすぎて型にはめることが、どれほど子どもと絵本や本との距離を拡げてしまうか分かりますでしょう。 - 戸田:
- ついつい大人は型にはめがちですものね。
- 有川:
- 先日、河合隼雄さんの本を読んでいたら「生徒たちが自主的に動きだし自分の力で学びはじめると、どんどん思いのほかの力を発揮するものです」とありました。
河合さんが高校の先生をしていた時の経験だそうです。 - 戸田:
- そうなんですね。
- 有川:
- 子どもが自主的になるかならないか、教育でも絵本でも、最もたいせつなところです。それぞれの人が、本来自分が持っているはずの自主的な力を発揮する機会に恵まれれば、社会はいろんな方向に力強く進んでいくのではないでしょうか。そう考えると家庭、学校、社会のありかたが変わることになります。
なによりも大切なことは、個々の子どもの自主性です。 - 戸田:
- 有川さんのおっしゃるとおりですね。
- 有川:
- ところが明治以降、日本のリーダーたちは「自分たちが指示をださなければならない」と思い込んできた。
なぜかと言うと、欧米に「追いつけ追いこせ」とあせっていた。それに「民はバカで暗愚だ。ハッキリ言うとバカだ」と思ってきたからです。それから150年「追いつき、追いこせ」は終わっているのに、未だにその「追いつき、追いこせ」を続けている。すでに解決済みの方向を今になっても目指している。ですから、社会がはれやかにならない訳です。
絵本も同じように、あせって早く「教え導こう」という路線でやってきた。ところが今や子どもの楽しいと思うことがもっとも大切なのです。そうでないと人々の自主的で主体的な力が湧きおこる社会にはならないでしょう。
この30年間、欧米各国の経済はプラス成長、ことにアメリカやドイツは経済規模が倍になっているのに、日本の経済成長はマイナス、その原因もこんなところにあるような気がします。 - 戸田:
- マイナスとは、びっくりですね。
- 有川:
- なによりも人々の自主的で主体的な力が動きださない社会のあり方に問題があるんでしょうね。大人たちがもう少し柔軟性をもっていればいいのですが。
- 戸田:
- 問題は柔軟な考え方ですか。
- 有川:
- そうです。柔軟といえば絵本にも関係します。絵本には「ものの見方」「ものの考え方」を提示する役割もあります。これはあまり知られていませんが、とても重要な役割です。
- 戸田:
- ええ。
- 有川:
- 以前、五味太郎さんに「考えるというのは、具体的に言うとなんですか」とたずねたんです。すると、「よく見ること」と即答。「いろんな角度から見る。それが出来たら“考えるひと”と言ってもいいんじゃないかな」と。
「よく見る」ということなら、絵本には活躍の場は大いにあります。絵本ですから絵を見るのは当然です。それだけでなく絵を読む。絵本は、そうした仕掛けをほどこすことができる珍しいジャンルでもあります。絵を読むためには、説明しすぎない余白のある絵本をつくることがとても大事です。『妖怪俳句』などは、そうした役割の一端を確実に担っている絵本だと思います。 - 戸田:
- あらためて考えると絵本の役割がひろがりますね。想像力をふくらませて、いろんな見方が自然に身に付くというのは大事というか、素敵なことですね。
- 有川:
- それこそが絵本の果たすべき大切な役割だと言っていいでしょう。
いろんな角度から見ることに適した絵本をもう一冊、ご紹介します。五味太郎さんの『クリスマスにはおくりもの』です。クリスマスにはサンタクロースからのプレゼントをもらうのが当たり前。それを反対から見る。そんな女の子の話です。
“考える”ためには、いろんな角度から見ることが大切だと言いました。いろんな角度といっても、最も簡単な角度が、とりあえず反対から見る、考えるです。つまり、相手の立場になってみることではないでしょうか。
もらうだけでなくサンタさんにもプレゼントを準備する。「サンタさんもプレゼントをもらったらうれしいだろうな」。なんという心がけでしょう。気持ちのいい女の子の話です。この絵本の中には、僕も五味さんも登場しています(笑)。 - 戸田:
- えーっ。どこですか。
- 有川:
- まあ、よくみてください。ただし40年以上前の二人です(笑)。
- 戸田:
- わかりました(笑)。今日も、いつもの有川さんの「有川節」が聞けて、とても楽しかったです。
- 有川:
- ありがとうございます。
- 戸田:
- 有川さん、今日もありがとうございました。
- 有川:
- こちらこそ。
- 戸田:
- 絵本館代表の有川裕俊さんでした。
(2023.9.12 放送)

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