続いて『いっぽんばしわたる』についてお話します。
五味太郎作、初版は1979年。41年経った今も「親子2代でファンです」という方もたくさんいます。
いっぽんばしを、いろんないきものが渡っていきます。うさぎ、ひよこ、へび、ライオン、さかな、とり、キリン…。次々わたっていく様子が並列的に描かれています。
左ページには「ぴょんぴょんわたる」という文、右ページにはうさぎがわたっている絵という具合です。
それまでの絵本だったら、文に主語をつけて「うさぎさんが ぴょんぴょんわたる」となったでしょう。
ところが、主語は絵でみえている。もしどうみても、うさぎにはみえない絵であれば「うさぎが」と補足しなければいけないでしょうが、誰がみても「うさぎだ」とわかる絵を五味さんは描いている。だから主語はいらない。
五味さんはごく初期の頃から基本的には「描かれているものは文にしない」、「子どもには読みとる力がある」と考えていました。
「子どもはよくわからないだろうから、絵で丁寧に説明しないといけない」という、それまでの子どもに対する見方とは全く異なる考え方です。
主語がないことで自然に「文を補い」「絵をよむ」ことになる。
わたっている動物の足しか描かれていないページがあります。
文は「しらずにわたる」。
一部分しか見えない。だから読者は想像する。主語がないからこそのおもしろさです。
「どうして知らずにわたってしまったのか?」など、あれこれ考えたりもするでしょう。
わざと足りなくする。
ある意味、不足のある文にする。
絵も不足する部分をつくる。
すると、子どもはその部分を補う。「これは、たぶんキリンね」とか「キリンさんはあんまり足が長いから、ついついしらずにわたってしまったのね」読者の想像する力は動きだします。
すると文を読むだけでなく文を補うようになるし、絵もみるだけでなく絵を読むようになる。
この「並列的に並べている」という展開は、五味さんが生み出した新しい絵本のスタイルです。
なんのルールもなく並べているように思わせながら、そこには五味さんならではの展開があります。
ヘビは、からんでわたれる。だから何の不安もない。ところが、普段はエラそうな百獣の王ライオンは、はらはら。こわがっているライオンの気持ちが、伝わってくる。ヘビとライオンの対比がおもしろく、実にユーモラス。
五味さんは、ただ並べているいるのではありません。読者にヒントを出して問いかけをしているのです。
子どもたちに「ほかにどんな動物がわたるかな」と問いかけをしている。
子どもたちは絵をみるだけでなく、自然と絵を読むし、自分なりの思いで文もふくらます。すると、今までにはなかった絵本のたのしみが得られる。絵と文を上手に使えばこその表現です。ここにも絵本の醍醐味があります。