「うまい豆腐があるので送ろう」と友人がいってくれたので、到着のその日は会社全員八人外での昼食は中止。
みんな弁当です。
中学時代の友人がやっている店が車で十五分ばかりのところにあり。
これが評判の総菜屋で弁当もあります。
気のおけないお客のときにはここの弁当を買って公園で昼食ということもあります。
「うまいね、そのうえこの値段!」と、とても好評です。
友人がつくっている弁当ですからぼくは嬉しい。
嬉しいだけでなく鼻もたかい。こういった気持をどう言い表したらいいのか。
クール宅急便でとどいたのは二キロもあるざる豆腐でした。
二キロというのは皆で食べてもあまるぐらいの量でした。
この豆腐じつにいい味で、いままでこんな豆腐を食べたことがありません。
なにもつけずそのまま食べてもおいしいのです。
豆腐というものも実にいろいろあるのだと感心しました。
「こんな美味いものは人にもすすめてみなければ」と何人かに送りました。
このへんの気持は出版とおなじですね。
食べておいしいから人にすすめる。
おもしろい絵本ができたから人にすすめることができる。
これが出版の原点です。
読んでおもしろかったので子供にすすめる、つまり読んであげる。
これは親が子供に絵本を読んであげるうえでの基本的な態度です。
他の人にものをすすめるということを考えてみると。
ポイントになるのが食事ならば「うまい!」ということでしょう。
うまいより栄養を考慮せざるをえない状態があるとすれば、それは病気のときです。
他の人に本をすすめる。
本で「うまい」にあたるのが「おもしろい」で、「栄養」にあたるのが「ためになる」です。
本となるとついカリキュラム的に考えがちな大人や教育者は「おもしろい」より「ためになる」を優先しがちです。
優先しがちと言うより、おもしろいは眼中にないといったほうがいい。
理由はいたって簡単です。
おもしろいを柱にしてカリキュラムという建物を建築することは無理だとおもっているからです。
だから本をカリキュラム的に考えがちな大人はおもしろいを無視する。
おもしろいを直視する勇気がない。
直視すると自分が立っている基盤を失うおそれがあるからです。
自分が読んでおもしろくない(まずい)絵本や本をへいきで薦める無神経な大人たち。
学校でも塾でもそして家でもためになる(栄養)ばかり与えられている子供たち。
当然子供たちはおもしろいを求めて必死になります。
だから漫画やゲームに人気があつまるわけです。
絵本に親しむことの敵はあろうことかこういった善意の無神経なおじさんやおばさんたちなのです。
これからわれわれ団塊の世代もじいさんやばあさんになるのですから気をつけねばなりません。
孫の味方になるのか敵になるのか。