いい湯かげんがいい

世間で評判のラーメン屋に行って「なんだ、ここのラーメンさしてうまくないな」そうおもった人が「うまくはなかったけれど、さすが評判の店だけのことはある。
栄養価だけは高かった。次は家族全員で来よう」。
こんなアホなことをおもう人がいるでしょうか。
ところが本だとあるのですね。
絵本を読んで「よくわからない」という人がいます。
これを正確にいうとこうなります。
「わたしにはこの絵本がおもしろくなかった(うまくなかった)。
しかしこの絵本はむかしから評判(栄養)の高い絵本だそうだ。
このギャップをどう考えたらいいのか、それがわからない」。
わからないの実際はこんなところではないでしょうか。

評判の高い絵本の真価のほどがわからない駄目な私というふうに考えてしまう。
わからないと思うだけでも自分が嫌になるのに、駄目な私とおもうに至ってはあとは逃げだすしかありません。
多くの親はここで判断停止状態になります。
逃げだすのですから当然のなりゆきです。
自分で判断しないで他のものを頼ります。
子供の年齢とか何かの推薦とか、自分の五感がくだす判断以外の何かにすがってしまうのです。

いいじゃないですか他人がなんと言おうと思おうと、うまいものはうまいし、おもしろいものはおもしろいで何の問題もありません。
「そんな大胆なこととてもみんなの前ではっきり言うことはできませんわ」などと可憐なことをおっしゃる方でも、恋愛になるとかなりの判断力有段者にすぐなります。
「なんであんな男のどこがいいんだろう」とまわりの者が言えばいうほど「すてきな人です。いい人なんですから」とはっきりきっぱりいいきります。

絵本のことでもその調子でいけばいいのです。
料理でも本でも人のことでもうまいものはうまいし、おもしろいものはおもしろいし、いい人はいい人でおおいに結構です。
しかしここで肝に銘じておかなければならないことがあります。
うまいも、おもしろいも、いい人も、あなたの主観です。
それもうまい、おもしろい、いい人とおもったその時のあなたの主観なのです。
次の日いや次の瞬間でさえあなたがどう考えどう感じるかはあなた自身でもわからないし、保証のかぎりではないのだ、ということをすこし想いながら生活するといい、ということです。
するとなんでもはっきり明確に言えるようになるし、頭のなかも活発になります。

言い切っているのは今の私であって明日のあたしではない。
明日は明日になってみないとはっきりしない。
そこでもとめられているのは頭の柔軟性です。
今日のわたしと明日のわたしは違うこともありえるのだ。
そうおもえれば頭は自然とやわらかくなります。
頑迷固陋(がんめいころう)とは頭が硬くなること。
コンクリート化することです。
それを避けるためには自分の言っていることにすこしずれがあるなとおもった、その瞬間が肝心です。
そのとき自分の言葉をすばやく訂正できる技が身につけばしめたものです。
つまるところいいかげんが大事ということです。
いいかげんとは好い加減ということ、ようはバランスということですね。

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