趣味の誕生

「子どもを本好きにするのは簡単だ」とわたしは考えています。
ところがこの「子どもを本好きにする」の主語は大人のわたしたちです。
この大人たちがなにげなく信じていることがあります。
「よい本・絵本に接していれば子どもは本好きになる」です。
しかしなにをもって「よい絵本」か、ということです。
子どもがまず一冊の絵本を気にいる。
「よい絵本」というのはここがスタートです。
よい絵本というのは当人が決めねばなりません。
なにごとも「よい何々」の何々の部分は当人が決めなければならないのです。
「よい小説・よい音楽・よい映画・よい料理・よいファッション」。
他の人とか世間が決めたものに身をゆだねて生きていく人。
「なんでも人が決めてくれた方がいいの、楽だから」。
それも趣味というか覚悟なら、とやかく言うことはありません。
古い言いかたですが伴侶もいっそ他の人に決めてもらえば、どうでしょう。
もちろん意地悪でいっているのですが。でも現実はこれに近いのではないでしょうか。
「どうしてこんなオトコとケッコンしてしまったのかしら」と、お嘆きのオバサンたちは地球規模でみると天文学的な数字になるのではないでしょうか。もちろんオジサンとて同じです。
しかし憐れオジサンたちは忙しすぎて感受性を切断されているので、そのことに気づいていないだけです。
だから男はオジサンになると映画も音楽も本も「われ関せず」です。

子どもたちはある種の強制のなかでくらしています。
そのさいたるものがしつけや教育です。
強制の対極にあるのが「子どもの自主性」というもの。
われわれ大人がこころしなければならないことはこの「子どもを強制する」ことと「子どもの自主性」のバランスです。
親が忙しいと子どもは自然「自主的」になるし、親がひまになると子どもは「強制」される可能性がたかまる。
母親に余裕の時間が生まれたのは歴史の必然です。
喜べばいい。しかしあにはからんや「子どもを強制する」時間が増えたともいえるのです。
そこで「子どもの自主性」を保つにはどうしたらいいかということになります。
電化製品をすてて昔ながらの方法で家事をおこなうとか、一クラスを六十人以上にするとか、現実味のないものや検討にあたいするものも含めるといろいろあるでしょうが、ここに強い意志力も必要なく個人の決定だけでできる簡単な方法があります。
「子どもと本屋に行く」です。

子どもにお金をわたす。
子どもが本を選ぶのを待つ。
ここで大事なことはどんな本を選んでも子どもに「文句をいわない」です。
しかし「どうしてこんな本を買うのだろう」とストレスになる人もいるでしょう。
そうしたらあなたの気にいった絵本を一冊買うといいですね。
子どもはかならずその絵本を「読んで」とせがみますから。
そうするとあなたの好みや美意識を子どもに伝えていることになりますでしょう。
結果「子どもの自主性」と「子どもを本好きにしたい」という大人の願望が満たされることになります。
そのうえ「どれにしようかな?」と選択することがたのしくなってくると、それは子どもにとって「趣味の誕生」の時といっていいでしょう。

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