絵本館には、奇想天外な絵本がたくさんあります。
たとえば、佐々木マキさんの『ぶたのたね』もその一つ。とてつもなく走るのが遅いおおかみが主人公。なんとかぶたをつかまえて食べたい。そこで、きつね博士から「ぶたのたね」というものをもらいます。果たして結末はどういうことになりますやら…。このあとの展開は、みなさん、絵本を手にとって楽しんでください。
実は、こういったユーモラスな絵本をつくれる作家はそんなに多くはいません。世界的に見ても数は少ない。日本は多いほうです。
佐々木マキさんは、そんなユーモアやナンセンスを絵本で表現できる数少ない作家のひとりです。
おかあさんたちから「奇想天外な絵本を読んで、子どもに何が身につくのですか?」と問われることがありますが、僕の答えは単純です。
「お子さんには、冗談やユーモアをたのしめる人になってほしいと思いませんか」です。
ユーモアとは心の余裕、気持ちのゆとりです。ナンセンスは通常のものの見方に一石を投じて、違う角度からものをみる。そんな役割も担っています。考えるとは、ものを多面的に認識する力です。おもしろい上に、こんなおまけがついてくるんですから、これはもう言うことなしです。
真面目を金科玉条にしている人と生活するのはつらいものです。僕は家庭でも会社でも、ユーモアや冗談で笑いがたえない生活がいいと思っています。でも、多くの大人はユーモア絵本を見て「私はおもしろいと思ったけれど、子どもにはまだ早い、無理なのでは?」と思いがちです。
しかし、子どもはおもしろくなければ興味を失って長つづきしません。大人のおもしろいと子どものおもしろいに大きなひらきはありません。子どもにとっても最優先は、「おもしろい」です。
役にたつとか、ためになるというのは、おもしろいと思った後の問題です。一つだけ断言できることがあります。おもしろいと思うと、後々たいてい役にたったり、ためになったりするものです。
ナンセンス絵本は、ほとんどの大人が「なにがなんだかさっぱりわからない。この作者はなにを言いたいのだろう?」と考える。ところが、「分からない」に一番怯えていないのが赤ちゃんでしょう。だから子どもは、分からないに身構えたりはしません。分からないにも関わらず、おもしろいと思った。これは子どもの心のなかの何かが動いた証ではないでしょうか。
分からないことに興味をもつ。科学する心、好奇心の誕生でしょう。ですから「分からないのにおもしろい」は、大人が思う以上に大切です。
なにごとも熱中してやれば、なにかが身につくものです。そんな気楽な気持ちで、また長い目で子どもと絵本のことは考えてください。すると、大人も肩から力がぬけて気が楽になると思います。
子どもも大人も、とにかく「おもしろい」が最優先です。
大人のあなたがおもしろいと思った絵本を子どもにすすめてなんの問題もありません。言ったように子どもは分からないに怯えたりしません。分からないに身構えるようになると、大人の世界に一歩足を踏み入れたと言ってもいいでしょう。子どもはおもしろいことが大好きです。絵本でも、なににもまして肝腎なのが「おもしろい」です。繰り返しになりますが大人のおもしろいと子どものおもしろいに大きなひらきはありません。
このことは自信をもって言えます。理由は、送られてくるたくさんの「読者の声」です。そこには「おもしろいと思う気持に年齢は関係ない」と確信させてくれる様々な声が書かれています。
これからもたくさんの声が届くことでしょう。
そんなうれしい便りを作者にとどけるのも出版する者としてのよろこびです。