われわれ本の仕事は一台数百万も数千万もする車や宝石を売っているわけではありません。千円前後高くても二、三千円。
出版の基本は多品目少量生産。一番大事なのは日々のリピーターです。お客さまから信頼を得、また本を買いにこようとおもっていただく。これにつきる。業界の人間でこれに異議を唱える人はいないでしょう。
常日ごろ大人は自分のために本を選び購入している。購入する人と読む人が一致している。いってみれば平屋。とてもシンプル。ところが絵本はそうはいかない。買う人は大人、読んでもらうのは子ども。二階建てになっている。そのため購入する大人に迷いが生じる。
この大人の迷いがなぜ生じるのか。
はじめは二階部分の大人について。
子どものおみやげにとおもい大人が書店で絵本を手にとってみる。絵本を読んでおもしろいとおもう大人とおもしろいとおもわない大人。
「大人の自分が読んでもおもしろい。そんな絵本があるんだ」と、自分のおもしろいに信頼をおいて絵本を買う人と、「自分はおもしろくない。大人だから当たり前。ただ評判の絵本だから子どもにはいいのだろう」と、評判を頼りに絵本を買って帰る人と、二つに分かれる。
つぎ一階部分の子ども。
大人が買ってきた絵本を読んでももらった子どもも二つに分かれる。おもしろいとおもう子どもとおもしろくないとおもう子どもに、つごう四つのパターンに分かれる。
Aのパターンは◎。
大人がおもしろいとおもって子どもに絵本を買って読んであげた。子どももその絵本をおもしろがった。大人自身がおもしろいとおもって買った絵本。買った大人がおもしろいとおもうことは、すでに元はとっているわけです。そのうえ子どももよろこぶ。いうことはありません。二度おいしい状態です。二重丸。
Bのパターンは△。
おなじく大人がおもしろいとおもって子どもに絵本を買って読んであげた。にもかかわらず子どもはさしておもしろがる様子がない。じつはこのケースそんなにがっかりすることではありません。というのは大人の趣味を子どもに伝えているからです。ただ子どもが喜ばなかった。だからまあこの場は残念というしかない。すでに元はとっていても、丸というわけにはいきません。三角です。
Cのパターンは○。
書店で絵本を読んでみた。しかし自分はおもしろいとはおもわなかった。子どもにいいという評判を優先し買って帰った。さすがというか評判通り子どもはよろこんだ。絵本購入の目的はここにあった。だから文句はない。ただ二度おいしい状態ではない。二重丸というわけにはいかない。丸です。
Dのパターンは_。
絵本を買うとき自分はおもしろいとはおもわなかった。評判を頼りに買って帰った。ところが評判はあてにならなかった。子どもはさしておもしろがる様子もない。「うーん」と唸(うな)ればまだいいほう。「わたしの育て方に問題があったのかしら」とか、「この子だいじょうぶかしら」とか、そうおもうようになると最悪の思考回路にはまってしまうことになる。
こんな経験を二度三度くりかえしたらもう書店の絵本売り場には来なくなるのが普通。このケースはまちがいなくバツ。バツなのは絵本を買ってあげようとおもった大人だけではない。リピーターが育たないのですから本屋さんにとっても大問題です。
この四つのパターンを比較してみてください。ことに1と2のグループと3と4のグループを比べてみればことは明瞭です。
くりかえしますが絵本は平屋ではない二階建て。絵本を買っているのは大人。読んでもらっているのは子ども。絵本を購入しているおおくの大人をリピーターになってほしいと考えるなら、中心に大人のおもしろいをおくのが得策です。
今まで気にしていたのは子どものおもしろいではなく、「子どもにとっていい絵本はどれだ」でした。おもしろい絵本ではなくいい絵本が中心でした。いいがおもしろいを凌駕してきました。ところがおもしろいといいは同じ土俵には上がれないのです。
おもしろいの反対はおもしろくない。いいの反対はわるい。
おもしろいといいは概念が違います。
これではおもしろいといいが互いにまじわる接点はありません。
あなたにとっておもしろい絵本とおもしろくない絵本。
これにはみなさんなんらかの手ごたえがあるでしょう。
ところがあなたにとっていい絵本とわるい絵本。
なにかピーンとくるものがありますか。実感がない。実感よりいい絵本という虚構があなたを支配しだす。
あなたの子どもにとっておもしろい絵本とおもしろくない絵本。
子どもといえど一個の人間、自分のおもしろいおもしろくないと子どものおもしろいおもしろくないがどれほど見とおせるか。親といえども子どものすべてを分かるわけではない。子どもの面白いに自信がもてなくてもなんの不思議もありません。
あなたの子どもにとっていい絵本とわるい絵本。
なにをもっていい、わるいとするか。子どもの今現在にいい絵本、しつけ絵本、教材絵本のことか。あるいは子どもの将来にとっていい絵本とは、そんな先のことまで絵本はなにも保障してくれません。
またわるい絵本の具体例を示すことができるのか。具体例を示すことができないのに、世にわるい絵本があるような気にさせられている。具体例を示すことができないということは、ないのにあるような気にさせられているということです。
事実より虚構が先行し、その虚構を事実のごとく実感する。一度実感した虚構は二度と消すことができない。染まったものは消えない。
高樹のぶ子さんの言葉です。
新興宗教にはまった人も、悪書が子どもに害をあたえるという発想の人も、虚構を事実のごとく実感した人ではないでしょうか。
ひらたく考えてみると簡単です。
むかしから「子どもは大人の背中を見ながら育つ」といってきたではありませんか。絵本選びの「大人の背中」はなにか。それはあなたがおもしろいとおもった絵本を子どもに見せるということです。あなたのおもしろい、つまり実感に自信をもてるかもてないかです。
大人のあなた自身がおもしろいとおもった絵本、その絵本に自信をもてば、絵本は二階建てから平屋になります。その平屋にはすぐ子ども用の離れも立つでしょう。のびやかで風通しのいいたたずまいになるとおもいますが、いかがですか。
自信を深めてもらうため、ある専門店の方の文を紹介しましょう。文章は高知の専門店コッコ・サンの店長森本智香さんです。月に二回のお話会に毎回十五から二十組の親子が参加するそうです。
お話会で一番、感じるのは、『大人たちが楽しむと子どもたちも楽しい』ということです。時々、子どもたちには理解できないような絵本を大人向けにも読みますが、お母さんたちがニコニコ笑っていると、理解できていないはずの子どもたちも、なぜかとても集中しているのです。絵本を見てイメージで体を動かしてもらう時も、お母さんが楽しんでいると、子どもたちものびのびと体を動かしてくれます。
いままではつい「子供の年齢に適した絵本」とか「子どもの発達に即した絵本」とか、子どもの年齢を気にすることが子どもの側に立つ考えのようにおもわれてきました。そこに迷いの素があったのです。いってみれば虚構です。事実は逆。「大人のあなた自身が楽しむ」が第一歩だったのです。大人が二階建てを壊し平屋に建てかえれば絵本選びの迷いは吹き飛んでしまします。簡単です。
絵本は活字にありがちな観念だけの世界とは無縁です。絵本は実感がベース。子どもたちだけでなく大人も絵本を楽しみながら実感をベースにものごとを考える日とになってほしいものです。
それになにより
おもしろくなくては次の本を読む気にならないからね。
河合隼雄さんの言葉です。おもしろいという実感が読書のおおもとであります。