30周年をむかえて

7月27日は創立記念日でした。30周年ですね。

気がついたら30年経ったなあという感じですね。
正直なきもちは「よくもった」。これに尽きるなあ(笑)。長新太流にいえば、「あんまり大げさな気分にならないのね」でしょうか(笑)。

絵本の出版をしていてよかったなあと思うことは?

そうだなあ。涼しい仕事だとおもえることかな。業種によるのか、ある種の世界ではどこの学校を出たとか、そんなことにこだわる人たちもいるんだろうけど、絵本館はもちろんだけど作家がどこの学校を出たかなどということも含めて、なんの関心もないし興味もない。「出身はどこですか?」と聞かれて、「はい、群馬です」は正しいけれど、「はい、○○大学です」なんていきなり答えるのって変な話でしょう。じつはこれ知人がロンドンの日本人社会で経験した本当の話です。でも、それがまかり通っている世界もあるんですね。鳥肌ものです。
そんなところに比べたら、ぼくのまわりの人たちは本当に風通しがいい人が多いとおもう。
ぼくの両親の出身は鹿児島です。鹿児島県の国分市。
ぼくが結婚する前のこと。兄が東京の人と結婚したんだ。そのとき、つまらないことを考えた。わが一族は何代にもわたって永々とこの鹿児島の地で結婚を繰り返し、今にいたった。だから、ぼくも鹿児島の人と結婚しようかと。── いま考えると、失恋したあとだったからかな ── そんなことを母にいったら「そんなこと気にすることないのよ。風通しのいい人だったら、どんな人でもいいの」といわれ、恥じ入ったことがあった。
今は亡き母のことば、気に入っています。風通しのいい人。自分もそうなりたいし、そんな心もちの人に囲まれ生活していきたいものだとおもっています。
そんなに欲ばりなはなしではないでしょう。
いま還暦目前、考えてみるると、まわりは公私ともに「風通しだけはまかしとけ」といった人に囲まれているような気がする。これ、本当。うらやましいでしょう?

いろいろな作家と出会ってきましたが。

そう。そこが一番。
なにしろ最初に出会ったのが五味太郎さんだったからね、30年前のぼくは本当になにも知らなかったし、鈍かった。「今もそうだ」というお声も聞こえそうだが、そこはおゆるしいただいて(笑)。
30年前と今の五味さん、ほとんど進歩していない。
つまり、それほどすごかったということ。五味さんは、表現とは何か。パブリッシュするということの本来の意味、ものごとはどうすれば伝わり反対に伝わらないか、そんなことがわかっている人だった。
そして、子どもを導いてどうこうしようという気持ちがない。その押し付けがましさのない自由な考えが作風にあらわれていた。だから最初の絵本は五味さんにぜひお願いしたいと思ったんだ。
それで出来上がった絵本が『海は広いね、おじいちゃん』。その『海は広いね、おじいちゃん』が絵本館のはじめての出版。

その頃の五味さん、時間があった。五味さんの家へはいつも午後2時に行く。五味さん宅を出るのはだいたい翌日の朝がた。1回行くと15時間ぐらい、ただただ五味さんの話を聞く。それがおもしろい。話題は多岐にわたり、話は飛躍につぐ飛躍。今まで話していたことと関係なさそうな話に飛んだと思っていると、はじめの話にストーンと戻る。まるで会話のアクロバット。話題は音楽、進化論、民俗学、歌舞伎、絵画、医、整体、文学、食、教育、スポーツなど、人間の精神の動きに関するありとあらゆるジャンル。
まあ、目くるめくと言ったら大げさにきこえるかもしれませんが、実際、その驚きは隠れていた好奇心のマグマがむくむくと湧き上がってきたという心持ち。もちろん五味さんの子ども時代のこと、お父さんやお母さん、友達との数限りないエピソード。こちらは、話の大河のなかに浮かぶ小船のような心地でした。
年間で80日以上五味さんに会いに行ったそうです。
なぜ、「そうです」などと他人事のような言い方をするかといえば、五味さんがカレンダーを新しく換えるとき、数えてみたら1年で80日以上だったそうです。80日×15時間。1200時間はすごい個人授業でしょう。それも1年だけでなく2、3年続きました。
今、考えてみると、そのわりには出来のいい生徒ではなかったですね。五味さんにしてみれば「バカヤロー、おまえに何かを教えたおぼえはない」と言われることは「間違いなし」ですが。
しかし、この体験から得たものが出版のベースになったことは確かです。
仕事の方向だけでなく、ものの見方、考え方に大きな影響をうけたことは間違いありません。実にぼく個人にとっても人生がおもしろくなったのですから、暁光でした。

絵本館の出版の方向性がそこで決まったということですね。

子どもの年齢、つまり理解力のことなど気にせず、子どもの感じる力を信じ、こちら大人側、作家もわれわれ出版社ものびのびやればいい。五味さんと話しているとき、そう確信した。
それを絵本館の特徴にしよう。そんな気持ちで長く出版をやっていけば、他の出版社とはおのずと異なる出版社ができあがるだろうとおもったわけです。
そもそも作家になろうとおもう人は、もともとタイプとしては個性的な人でしょう。その作家が「ぜひ、今までにないこんな絵本をつくりたい」とおもう。
そうすれば、こちら出版社側は絵本の大きさ、紙の質などはもちろんのこと、絵本の内容も含め、作者の希望通りの作品に仕上がるようにしたい。それが絵本館の願望です。
みなさん、絵本のサイズは見た目ですぐに分かりますでしょう。絵本の大きさが違えば受ける印象も異なる。ところが、印刷の印象は紙の違いによっても大きくかわります。
作家が同じカラーインクで同じワトソン紙で描いた絵でも印刷する紙を変えると、まったくちがった風合いになります。これはびっくりするほどです。作品を生かすために、まずはじめにその絵本にあった紙とサイズを決める。これがとても重要です。
創立当時、作品ごとに絵本のサイズと紙を検討し変える、そんな出版社はなかった。
もちろん採算から検討したら、ひきあわないですけどね。しかし絵本として確たる輝きをもつ本になります。
採算といえば紙やサイズの検討もそうですが、見返しページを省いている出版社もあります。内容としてはすばらしい絵本なのに見返しページがない。われわれから見ると変におちつかない。五味さんにいわせると「障子をあけたら、いきなり便所」だそうです。トイレではなく便所というところがすごいですね。
30年経った今でも、このこだわりは変わらない。
作家の思いが首尾一貫、貫かれている絵本。それがいい。ぼくが提案する部分があるとしたら、それはあくまでも参考意見。それでいいと思っている。他の出版社がやっていないことをやらなければ、この仕事を始めた意味がない。どこもやっていないことをやる。そもそも出版とはそういうものではないかと思っている。

これからも「絵本館らしい絵本」をと、いうことですね。

絵本を使って子どもを導こうとか、そんな気持ちのない作家に、のびのびと絵本をつくってもらいたいと思っている。個性がキラキラとあふれているような絵本をね。そんな絵本を子どもが楽しんでくれたら、かなりしあわせだね。そんな絵本だったら子どもたちばかりでなく、大人もたのしめる。そこはぼくがうけあいます。
なにより人間の精神、その活発な人間の精神の動きに関係するような絵本を出版していきたいとおもっている。こちら大人側がのびのびやればいい。
それを絵本館の特徴にしよう。そんな気持ちでやってきたし、これからもボチボチですが、やっていきたいとおもっています。

絵本館のスタート
五味さんを福生に訪ねた日を創立記念日にしようかと思ってるんだけどね。
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