年々、たべものの好みは変る

きびしい暑さから、やっと開放されました。ますます、食のすすむ季節ですね。

長く生きてくると好きになるものがふえてくるのがうれしいね。
ちいさいときは、おいしくないと思っていたものが、おいしくなるのだからうれしい。
切り干し大根とか小鯵の南蛮漬けとか、いまは大好きだけど、子どものころは取り立てて、どころか好んで食べようとはしなかったからね。
みそ汁に入れるミョウガの味も、今はしみじみとおいしいと思う。
いま、気に入っているのは、蛤と豆腐をお鍋にして三つ葉を入れて、ポン酢で食べる。じつにうまい。
夜、家に帰ってこれがまっていると、奥さんに「ありがとう!」という気分です。
食べものはすぐに人をしあわせにすることができるからいいね。
亡くなった母にこんなこというと失礼だけど、とりたてて料理が上手なひとじゃなかったから、よけい感動するのかな。
結婚するんだったら、女の人は相手の母上が料理上手じゃない人と結婚したらいいんじゃないかな。
ちょっと、凝ったものを作ると、すごく喜んでくれる。
ま、それは一面的な判断とも言えるけどね。
味覚が育ってなかったら、いくら手間ひまかけてもだめだからね。
ミョウガのおいしさをわかってくれなかったりする。
これじゃ、自分の味覚がすぐれているみたいな言い方で、ちといやみになったかな。
いずれにしても作ったものを「おいしいね」と言わないような男だと女の人の料理の腕は上達はしないね。
料理の手が上がらないとすれば、男の責任も大きいのではないか。
年をとって、好きな食べものは広がる。
人に対してもそうかというと、そうでもない。
広がる人とそうでない人と両方だろうね。
僕の場合は、だんだん狭ばまってくるような気がする。
先は暗いかな。

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