ブスは社会悪

「大人とはなにごとも自分でものごとを決められる人」と子供たちはおもっている。
するといまの親父はどうか。「いまだ大人になれず」の状態ではないか。
会社で上司に相談せずになにを決められるか。
家庭で妻の意向を無視して決められることがどのくらいあるのか。
情けないことに「トホホ」というしかないのが現状です。
子供から見ればまちがいなく母親は大人。
家庭内のことならたいてのことは夫と相談せずにどんどん決めているのですから。
一方子供から見てオヤジはどうか。
幼児から見るとおやじは体力、知力、金力なにもかも圧倒的、見上げる存在。
問題は思春期です。
体力や知力はだんだん互角、金もオヤジが自由になる金はさしてないことも知れてくる。
その上家庭のことで決定する力もほとんどない。
そんななか何かトラブルなどおこって意見が対立すると子供は「なにをえらそうな」と思う。
むかしのオヤジは稼ぎ手であっただけではない。
家業という職業上の師でもあった。
オヤジは稼ぎ手であると同時に師匠でもあったわけです。
おのずから礼節というものもあったでしょう。
だから威厳や権威というはなしにもなった。
それがいまや教育は妻と学校に丸投げ。
給料も銀行振込。
だれが稼いでいるのかもはっきりしない有様。
銀行から金を下ろして管理しているのは母親。
子供から見るとだれが稼いでいるのか分らなくなるわけです。


時代とともにオヤジの置かれている位置に変化が生じたのです。
そういうことを理解せずに「オヤジの権威」とか「スパルタ教育」などと口走るようになるともう末期症状です。
懐古趣味に浸っているなどというレベルをとおりこしてオヤジの化石化へ一直線。
こういうオヤジは家庭での居場所がなくなります。
サラリーマンのオヤジは内憂外患、踏んだりけったりが現状です。
まことにご愁傷さまというほかありません。
でも「そんな冷たいこと言わないで、どうすればいいのよ」という声もあります。
たしかにこのままでは男としてあまりにも淋しい。
サラリーマンのオヤジは朝はやくから夜中まで家にいない。
だから家のことに精通することは無理。
まずこのことを強く認識することです。
すると謙虚にもなれるし、考えに幅もでてくる。
聞く耳が育つということです。
よく分っていないことを闇雲に決める。
そんなぶざまなオヤジになってはいけません。これが第一。
第二は愛嬌です。耳が育ったらつぎは歯。つまり笑顔です。
おとうさんの「ただいま」をきいて、こころから「おかえりなさい」と言える家族。
家族にとって父親が鬱陶しい存在だっ たらこころからの「おかえりなさい」はないでしょう。
父親の存在がたのしいから、あるいはおもしろいからこころからの「おかえりなさい」ですよね。
家族にとって父親がいるとたのしくなる。
おおげさに聞こえるかもしれませんが、それは父親に魅力があるということです。
その魅力のおおもとが愛嬌。
これからのおとうさんにとって愛嬌は必須の条件です。
「うちのオヤジおもしろいんだよ」と言える子供。
いい家庭です。
家庭でも社会でもブスは嫌われます。
社会悪だという人までいます。
「暴言だわ」とお怒りの方もいらっしゃるでしょうが短気をおこさずにお聞きください。
ブスとはブスッとしている人のこと。
ある絵本作家の言です。
男女に関わらずブスッとしている人のことをブスというのだそうです。
だから眉目秀麗にもかかわらずブスはいるということになります。
そこでブスなお父さんにおすすめなのがユーモアです。
ユーモラスな絵本はいかがでしょう。
家族と一緒にユーモラスな絵本をたのしむ。
ふだんブスッとしているお父さんにいきなり絵本は無理かな。
現在のブスなお父さんをどのくらい立ち直せることが可能かほんとのところあまり自信はありません。
しかし将来のお父さんやお母さんになる子供たちにはユーモラスな絵本是非おすすめです。
ここからは宣伝口調になります。あしからず。
ユーモラスな絵本といへばなんといっても絵本館。
ことに高畠純さんの『おとうさんのえほん』はブスなお父さんにおすすめです。
しかしこの絵本を読んで笑わなかったらもう打つ手はありません。
あきらめてください。
でもこの展開ではちょっと手前味噌にすぎるかな。

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