あなたの精神の健康のために!

あなたがだまされやすい人間かどうか。
こんな問いはどうでしょう。
「主婦たるもの、家族のために夕食は心をこめて作るものだ」、どうおもいます。
わるくありませんよね。ただ「そうだそうだ」と、やみくもにこの考えを信じるとなると、女も男も先々ろくな目にあわないような気がします。
「主婦たるもの、家族のために夕食は心をこめて作るものだ」。
この言いかたのなにが変なのかというと、まず「ひとんちの晩飯の作りかた、とくに作るときの心のあり方を他人にとやかく言われるおぼえはない」ということです。
自分の健康のために「うるせいなアホ、他人のことでつべこべいうなボケ」これぐらい言ってもいいのです。
上品とはいえませんが元気はでます。人生どうしても上品に生きたいという人はつぶやくだけでもいい。
家族のこと、ことに子供に関して、おおくの親は生まれたそばから思いも心もこもっています。
それをいまさら心をこめるとなるとどういうことなるか。
日常生活で家族のために「心をこめて」何かをするということがあるとすると、それはどんなときでしょう。
「心をこめる」とは誠心誠意ということです。
誠心誠意ということとなるとそれは家族が病気の時ぐらいではないでしょうか。
だからこのフレーズ変なのです。
これをアホな考えだと瞬間的に認識できない人間は問題です。
多くの場合、親は思いも心もこもりすぎです。
そのことを子供は煩わしくおもっていのが現実なのではないでしょうか。

「母たるもの、子供のために絵本は心をこめて読むものだ」。
くりかえし言いますが親は子供に心がこもりすぎです。
だから絵本を子供に読むときにいちいち心をこめていたのでは親子関係が「いまさら」というか、わざとらしくなるとおもいませんか。
心などいちいちこめずにあなたの好きな、おもしろいとおもった絵本を気楽に読んであげるのが一番です。だれからも絵本の読み方の指示などうけるいわれはないのです。
「わたしの絵本の読み方、その読み方の心がまえまで人から、とやかく言われるおぼえはない」と言いきっていいのです。
もちろん「どうしても子供に絵本を読むときは心をこめたいのだ」という人には、どうぞ御自由にというしかありませんが。
「夕食は心をこめて作るべきだ」「絵本は心をこめて読むべきだ」といわれて、聞かされているのは若い主婦です。
「なになにすべきだ」と他人にいうのは、だいたいおばさんです。
あるいはおばさんのようなおじさんです。
このおばさんとおじさんの口調には特徴があります。
おばさんはかなりきっぱりした言い方をしますし、おじさんはやさしく語りかけるようにはなします。
別の言い方をすれば猫なで声です。
こんな話を喜んで聞いているようになると、あなたの頭は既にものごとを自分で考えることに適していなくなっているのかもしれません。
要注意です。
そこでこんなお節介なおばさんやおじさんと縁を切るいい口上があります。
「よけいなおせわだ、うるさいな」です。
できたら「よけいなおせわだ、うるせいな」とまで言い切れれば上出来です。

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