IQより愛嬌だ

これはわが家のキャッチフレーズです。
私は気にいっています。
なにより語呂がいいし、反語的ですがある真実を言い当てているような気もしますし。
人間なにかにつけ「考える」という能力を身に付け、得もしてきました。
ところがなにごとも善いことばかりではないのは世の常です。
過ぎたるは及ばざるが如し、というではありませんか。
考えてばかりいればいいという訳ではありません。
熟慮に熟慮を重ねたにもかかわらず「なぜうまくいかないのだろう」などといって嘆いている人がいたりします。
人ごとではありません。
自分のことも言っているのですが。
熟慮も考え方の筋が悪ければ単なる時間の無駄使いになりかねません。
時間の無駄使いで終わればまだましなほうです。
とんでもない方向に走りだしたら、あとで悔んでも悔みきれないということが世のなかにはたくさんあります。
ニューヨークのビルに突撃する人や地下鉄にサリンをまく人など。

考えが迷路の如く昏迷の様相を呈してきたと感じたら、それはそれでしめたものです。
というのは「昏迷してきたな」と感じる力を持っているわたしがいるということだからです。
「なんだか解からないけどこんがらかってきたな、とりあえず元にもどって考え直してみよう」とおもえたら混迷のなかに光がさしたも同然です。
単純なことはシンプルに、複雑なことは複雑なんだからじたばたしないで、じっくり腰をすえていこう、と認識できる人はそうとう賢い人です。
単純なことがらを複雑に考える人は迷う。
ほんらいは複雑なことがらなのに、勢いをつけないと気がすまない気質のせいでしょう。
なんでもパターン化し単純に理解したつもりになって、すぐ高揚してしまうタイプの人間をむかしから人は「馬鹿は死ななきゃ直らない」といってきました。
IQとか偏差値はどこまでいっても人間の頭で作りあげたものです。
人間の頭で作ったIQとか偏差値で人の頭を測るのですからおのずと限界があります。
おなじ限界の世界のことならば愛嬌にも数値をつけてみるのはどうでしょう。名づけて愛嬌値。
しかしこれでは洒落にならないか。
IQや偏差値よりも愛嬌のほうが世のため人のためという気がします。
みなさんいかがおおもいですか。
読み書きそろばんが一通りできればあとは各人の興味や好みにしたがって学んだり修行したり、それぞれに励めばいいのであって、あとは大人の余計なおせっかいです。
わたしも絵本舘の絵本が「愛嬌のあるすてきな絵本ね」といわれるように、そこそこやっていきたいとおもっています。
みなさんよろしく。

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