おおきな勘違い

おおくの絵本作家が敬愛している絵本作家がいます。
長新太です。
長さんの絵本は作家だけでなく子供たちにもたいへんな人気です。
これを鬼に金棒といいます。
ところが長さんの絵本がすごく売れるかというと、失礼ながらさほどではありません。
というのは絵本は子どもが買う本ではなく、大人が買う本だからです。
多くの大人は絵本を読んで「分らない」ところがあると腰が引けます。
「大人のあたしが分らないのだから、子どもが分るわけがない」と思ってしまうのです。
ここに大きな勘違いがあるのです。
それを「分る」と「おもしろい」の関係で見てみます。
すると絵本の特質というか持ち味も解ってきます。

まずはじめは
「よく分るのにおもしろくない」
おおくの教科書や参考書はこれです。

「よく分るうえにおもしろい」
テレビの科学番組やドキュメンタリーを見ているときにときどき経験します。

反対に「分らない」にも二つあります。
「分らないうえにおもしろくない」
これは最悪です。
授業でこの状態に落ち込んでいる生徒はよくいます。
むかし学生のとき経験したのでわたしもよく解ります。

最後が
「分らないのにおもしろい」
絵本にかぎらず「分らないのにおもしろい」ことに子どもがどれほど魅力を感じているか、大人はこのことを理解できていません。
「分らないけどなぜだかおもしろい」の「なぜだか」が好奇心の始まりなのです。
大人がおもっている以上に「分らないのにおもしろい」はとても重要です。

そこで絵本です。
絵本はこの「分らないのにおもしろい」が最も得意なのです。
そのシンボルが長さんの絵本です。
ところが絵本を購入するのはほとんどが大人です。
ここが問題です。
おおくの大人は「おもしろい」という要素に目を向けていないので、長さんの絵本を子どもが喜んでも「この作者なにを言いたいのか、さっぱり分らない」と、「分らない」とおもった絵本をはじめから無視します。
だから子どもに手渡される絵本は大人が「分る」絵本が主になってしまうのです。
「分る絵本」はどうしても教育的、教科書的になっていきます。
絵本がカリキュラム化していきます。

「三歳児にはこの絵本です」と自信をもっていってしまう人がいます。
発想がカリキュラム的ですから当然といえば当然です。
教えよう教えようとして「おもしろい」という要素を無視すればするほど子どもの興味や好奇心は萎(な)えてしまいます。
だいじなのは「分る」ではなく「おもしろい」です。
大人はその子その子の「おもしろい」を大切にしたほうが得です。
このことを疑問におもう人は子どもに長さんの絵本を読んでみてください。
すぐ判ります。
おもしろい絵本に年齢は関係ない。

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