奇想天外の絵本4 すこし意地悪がいい。

奇想天外といえば、なんといってもtupera tuperaさんの『パンダ銭湯』。
なにしろパンダが銭湯に行くんですから奇想天外間違いなし。しかも「パンダ以外お断り」の銭湯。
「え、パンダが銭湯に?」と、いきなり読者はびっくりです。この思いもよらない「びっくり」が、とてもいいですね。


tupera tupera『パンダ銭湯』

子どもに人気の多くの絵本には、この「びっくり」がよくあります。
長谷川義史さんの『いいから いいから』では、「いいからいいから」なんて言っている場合ではないのに、おじいちゃんはためらいもなく「いいからいいから」とすべてを受け入れてしまいます。なんというおじいちゃんでしょう。


長谷川義史『いいから いいから』

佐々木マキさんの『ぶたのたね』は、木にぶたがたわわに実ってしまう。見応え充分、圧巻の場面です。びっくりします。


佐々木マキ『ぶたのたね』

長新太さんの『ぼくのくれよん』(講談社)。「このくれよんは こんなにおおきいのです」で始まります。どんなに大きいかというと、よりによってぞうのくれよんなんです。びっくりでしょう。
佐野洋子さんの『だってだってのおばあさん』(フレーベル館)。99歳のおばあさんがいきなり5歳になってしまう。絵本ですから5 歳でも何歳にでもなれます。こののびのび元気なおばあさんが魅力的です。
五味太郎さんの『わにさんどきっ はいしゃさんどきっ』(偕成社)。なんと、わにが歯医者さんに行くんです。このわにさんと歯医者さんのやりとりがなんとも言えません。一つのフレーズに、わにさんと歯医者さんはまったく違うことを考えます。まさしく絵本ならではの展開です。
これらの絵本には、びっくりというか、「思いもよらない」落差があります。
びっくりや「思いもよらない」落差があるだけでなく、省略や飛躍も重要です。そのおかげで想像する力が生れでてくる。読者の想像力は、省略や飛躍の力でふくらんでいくものです。
絵本における省略や飛躍を邪魔するものが絵です。絵本なのに邪魔するものが絵なんですか、とお思いでしょう。
絵は絵でもイラスト、文を説明する絵です。さし絵といってもいいでしょう。さし絵は想像力の邪魔になるときがあります。さし絵は読者が想像する前に絵で説明してしまいます。これでは子どもの頭は動きださない。
奇想天外な展開のなかで、リズミカルな省略や飛躍があればこそ、それらが想像力の駆動装置になっていくのだと思います。

ここに、今までの日本の教育は「これでよかったのか」と思わせる文章があります。

他人に物を考えさせるためには、親切であるよりも、少し意地悪だったほうがいいのです。わざとどこかを意地悪く欠落させておいた方が、『この欠ける部分はなんだ?』と思って、人は考えてくれるからです。(橋本治『負けない力』)

これで分かりますよね。明治このかた文部省も教師も「親切」を旨として、説明につとめてきた。ところが親切が過ぎて、考えない人が巷にあふれることになった。よかれと思った親切だったのに、親切が仇になった。実は「すこし意地悪」ぐらいが、ちょうどよかったのです。意地悪という言い方がわるければ、「すこしからかう」と言ったほうがあたっているでしょうか。

さらに絵本の作者が心しなければならないことが、もうひとつあります。
作家が楽しみながら絵本を作っていると、知らず知らずのうちにそういった気分が読者にも伝わる。そういうものです。そのうえ子どもは、大人以上にその楽しさに敏感だと思います。そう考えると読者としての子どもは、かなり力のある存在だと信頼していいでしょう。

tupera tuperaさんは、「パンダという絶対的な人気者の存在をくずしたかった。不動のキャラクターであるパンダの可愛らしさを売り物にしたくなかった」と。
落差です。
こうした発想が出来るtupera tuperaさんは、本当に素晴らしい。
tupera tuperaさんや若い作家の出現で、絵本の世界も大きな地殻変動が起きていることを実感しています。
ますます多様な絵本の出現を期待できると思います。楽しみです。

パンダ銭湯
tupera tupera・作いま、明かされる「パンダのひみつ」
いいからいいから
長谷川義史・作これはもう一家に一冊、必読書です。
ぶたのたね
佐々木マキ・作きつね博士から「ぶたのたね」をもらったおおかみは・・・。
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