それにしても古い女と書いて姑(しゅうとめ)とはそのものずばり、あっけらかんとすごい字を考えたものです。
こんな字を考える人は世のなか「怖いものなし」でしょうね。
舅(しゅうと)は古い男とは書かず臼男、なんなんでしょう。
概して漢字は年寄りに薄情というか情け容赦がないようにおもえます。
未だ亡くならざる人で未亡人ですから。
姑には「わたしが嫁にきたとき辛いおもいをしたから息子の結婚相手には同じような思いだけはさせたくない」と「わたしも嫁のときに辛いおもいをしたのだから息子の嫁もこのぐらいのことはあたりまえよ」の二種類が大雑把ですがいるようなきがします。
前者の「させたくない」派の心がけがつづけばたいしたものです。
家族は明るくすごせる。
そのためには親子の適度な距離。
この距離が保たれていればおおきな問題はおこらないのではないでしょうか。
後者の「あたりまえ」派はいまや絶滅の危機です。
駄洒落のようですがあたりまえです。
もともと嫁より強い息子などこの世には存在しないのです。
「あたりまえ」派の姑がどんなに頑張ろうとも嫁に粉砕されておしまいです。
このとき息子がいかに頼りにならない存在であるかということを母親はおもい知らされることになるのです。
持つべきは息子ではなく娘ということでしょうか。
いまや名実ともに息子の誕生を心待ちにしているのは天皇家と梨園の名家ぐらいではないでしょうか。
たちのわるい「あたりまえ」派の姑が家庭では消滅に向かっているのに、会社では変種の姑問題が発生しています。
上司も姑と同じく二つのタイプがあります。
「おれたちが若いころは残業残業で遊ぶ時間もなかった。
今の若者に同じような思いをさせるのは忍びない、なるべく早く帰してやろう」と「おれたちが若いころは大変な思いをして働いてきた。
週休二日になったくせに十二時前に家に帰りたいなどとなにを寝ぼけたことをいっているんだ」。
あなたはこの二人の上司のどちらが出世すると思います。
前者の「忍びない」派ではないでしょう。
現実は後者の「なにを寝ぼけた」派に軍配が上がるのです。
「新婚そうそうだし。
いちゃいちゃしたい時期なんだからはやく帰してやろう」とか「赤ちゃんが生まれたんだから、一緒に風呂にはいるのもいいもんだ、はやく帰りなさい」などという上司はほとんど出世しません。
サービス残業で部下に不当労働行為を強要しているなどつゆ思わず平気でただ働きをさせている上司が組織では上に昇っていくのです。
サービスは奉仕ということです。
残業は業務ですから報酬があってあたりまえです。
ボランティアではありません。
残業は規定時間の後まで残って仕事をすること。
規定時間の報酬より高い手当てがでて当然なのによりによって奉仕とはあきれた言い草です。
無料奉仕と手当てなのですからサービス残業という言葉は本来意味をもつことができない合成語なのです。
つまり使用禁止ということです。
サービス残業などという言葉を平気でつかっている新聞社や雑誌社の諸君は言葉のセンスがないというか頭が悪いと考えてさしつかへないでしょう。
「あたりまえ」派の姑と「なにを寝ぼけた」派の上司は同じ精神構造をもっています。
つまり意地悪です。
おおくの大人が意地悪になると、また意地悪になった方が出世するとなると、あたりまえですが社会は陰気になります。
意地悪な大人がはびこる社会、粋でいなせな大人があこがれの目で見られる社会。
いきなりですが現代と江戸時代のもっともおおきな違いがこのあたりにあるのではないでしょうか。
男はすべからくお姐さんたちから「おにいさんすてき!」と声がかかるように生きたいものです。