十五年前、三十八のときはげていることに気づいた。
正確に言うと気づいたのではなく、気づかされたのです。
車のなかで後ろに座っていた妻が「あぁはげている」と叫んだのです。
家で手鏡を見てすっかりはげだしていることに気づかされ、ただただ悄然(しょうぜん)としてしまいました。
悄然とするわけです。
ぼくの場合は俗にいうザビエルはげ、最悪です。
当時のことで言えばアルシンドはげです。
どうでもいい事だけど、あのアルシンドさんの頭はいまどうなっているのでしょう。
「頭皮と毛根を清潔にしていないと、あなたの髪の毛はだんだん少なくなり、そして行きつく先ははげです。
それでもあなたはいいのですか」。
頭皮と毛根を拡大しながらシャンプーメーカーはテレビでこんなふうに繰りかえしCMをながしています。
そこで朝晩シャンプーしたり頭を叩いたり。
それでも髪の毛は確実に薄くなっていったのです。
悄然のつぎは諦念(ていねん)です。
そんな日々を送っているうちにあることに気づいたのです。
ホームレスといわれる人たちのことです。
とても清潔とはいいがたいホームレスの人たち。それなのにはげが少ない。
新宿や池袋にいるホームレスの人ではげている人をあまり見かけない。
「もしかすると一年や二年頭を洗わなくてもはげないのかな?」という疑問がうまれても不思議ではない。
この疑問にシャンプーメーカーの人たちはどう答えるのでしょうか。
いきおい「頭を洗わない方がはげないのではないか?」に発展してもおかしくはない。
そんなことを思っているとき五木寛之さんの対談を読んだのです。
頭は毎日のように洗うがシャンプーは年二〜三回、頭髪にはなにもつけない、数十年来の週間とのこと。
これで開眼です。
この二つから導かれる結論は「はげに関して髪の毛と頭皮の清潔不潔はさしたる因果関係をもたない。
しかし頭皮に残留したシャンプーははげになるおおきな原因だ」です。
でも多くの人は「シャンプーのあときれいに洗い流せば大丈夫、問題ない」とおもっているでしょう。
それではこれをやってみて下さい。顔でも手でもかなりのシャンプーをつけて泡立てる、そしてお湯ですすぐ。
これをやるとわかることが二つ。
シャンプーをのこさずきれいにすすぐためには大量のお湯が必要だということ。
つぎは大量のお湯をつかうと身体に必要な油っけまで洗い流しパリパリになってしまう、ということです。
障害物がない顔や手でさえシャンプーをきれいさっぱり洗い流すためにはかなり大量のお湯が必要です。
ましてまだ髪の毛がかなり残っている頭にですよ。
はげだしたあせりから朝夕シャンプーをふりかけていると、どうなるか。
シャンプーを完璧に洗い流すためには洗顔より何倍ものお湯がいりますでしょう。
ところが洗えば洗うほど頭皮本来の潤いは失われていく。
これはジレンマです。そこでこのジレンマを断つためには五木流にしたがうしかないと考え即実行です。
それから七年。
残り少ない貴重な頭髪が大きく損なわれることもなく、また口さがない友人知己から「くさい」などとそしられることもなく、ここまでこれたのもひとえにあのときの決断のたまものです。
ところで新幹線の洗面ですが頭のつむじまで見えてしまう三面鏡。
「ああそれにしてもおれの頭はこんなに薄いのだなぁ」と実感させられる瞬間です。
あの三面鏡なんとかならないものでしょうか。
だから新幹線は嫌いです。