- 戸田:
- 有川さん、今日もよろしくお願いいたします。
- 有川:
- こちらこそ、よろしくお願いします。
- 戸田:
- 今日はどんなお話ですか。
- 有川:
- みなさん、コンビニでトイレを借りる時、入るといきなり「きれいに使っていただいてありがとうございます」と書いてあります。まだ使っていないのに「ありがとう」と言われても…。
- 戸田:
- (笑)。
- 有川:
- それは「きれいに使ってくださるとうれしいんですが」という願望が記してあるんです。
- 戸田:
- ええ。
- 有川:
- 考えてみると、この国は願望と実際をゴッチャにする傾向があります。というか、強く望めば、それが現実になると考えているのかもしれません。思えばかなり変な人々の集まりです。
だから「よい子のみなさん、エスカレーターではあそばないでください」などとアナウンスがあるでしょう。それなら、よい子じゃなかったらあそんでもいいんだ、ということになってしまう。 - 戸田:
- (笑)。
- 有川:
- ある作家の方から聞いて「なるほど」と思ったことがあるんです。「“あおげば尊し、わが師の恩”なんて、よくこんな歌詞を生徒に歌わせるよなあ」と。
- 戸田:
- まあ(笑)。
- 有川:
- それは先生たちが「卒業生の多くが、そう思ってくれるとうれしいんだが!」という話です。子どもたちが積極的に「わが師の恩」と言っているわけではない。考えてみれば内容などさほど考えずについつい歌っているわけです。僕もそうでした。これも願望ですね。強く思えば、願望も現実になると考える人々。
1941年12月パールハーバーを爆撃したときも、日本海軍はアメリカの太平洋艦隊は復旧に最低3年はかかるとの見解だったそうです。ところが半年後のミッドウェイ海戦で日本海軍は壊滅的な敗北。同じく、日本では原子力発電所の事故はおこらない。小はコンビニのトイレから大は戦争や原子力発電まで、希望的な願望が幅をきかせている。本当に現実と希望を峻別するのが苦手。ところがその峻別ができなければ議論は始まらないのに、コロナでも然り。
なぜ、こんなに希望と現実がゴッチャになっているのか。たぶん性善説のお国柄ということもあるのでしょう。その性善説の上に幼少期のなかに子どもの幼少期の体験もある。大きな影響を受けるのは当然です。大人がかいた子どもの本にも、こういった願望系の絵本や読みものがたくさんあります。この考え方がちいさいときに刷りこまれる。
「素直でいい子でいると、そのうちいいことがおこる」というような本は結構多い。世の中そういうことになっていれば、いいのですが…。
と言って、反対に「なるべく人を疑って暮らしましょう」ということをおススメしているのではありません。ただ家庭でも学校でもまったくというほど疑う訓練をしていないのですから、「なるべく」ではなく「すこし」疑ってみてはどうでしょう。すこし疑うクセ、それが習慣になればしめたものです。詐欺にひっかかることもすくなくなると思います。すると多くの政治家は廃業となるでしょうか(笑)。 - 戸田:
- (笑)。
- 有川:
- 「これは願望だなあ」と考えた上で、「客観的な事実からは、かなりとおい」ということを素早く思うことが、生きていく上でとても大事なのではないでしょうか。
同じようなことを、人類学者の長谷川眞理子さんが「人間はそれぞれの場面に応じて適切に対処していくことを学ぶ」と書いてありました。ところが「適切に対処」するためには現実と願望を混同するようでは判断がにごり、頭脳明晰という状態にはなりません。多くの人が「それぞれの場面に応じて適切に対処」できる力を身につけることができるようになれば、それこそ真の意味での教育の成果が得られたことになります。すると社会も国も間違った方向にはいかないでしょう。 - 戸田:
- ええ。
- 有川:
- 物事を客観的にみる、みない、に関して言えば実は絵本の働きどころはかなりあります。
五味太郎さんの『みず』という絵本があります。
「ちいさなみず」は、涙が描いてあります。
「おおきなみず」は、海が描いてあります。
「しずかなみず」は、山あいのみずうみ。
「おどるみず」は、噴水が描いてあります。
ひとつのみずも、いろんな見方ができる。
「よごすみず」「あらうみず」「そだてるみず」「げんきのみず」というふうに見方しだいで、みずにもいろんなみずがあるんだと。こういった絵本は、「ものの見方」を提示しているんです。 - 戸田:
- ええ。
- 有川:
- 1、2、3歳の小さな頃から「ものの見方」というものを知らず知らずのうちに感じとり、同時に「おもしろいな」と思う。この「おもしろい」というところがミソです。「おもしろい」と思うから、気づけば「ものの見方」の部分も自然と身につくわけです。
- 戸田:
- そうですね。
- 有川:
- そういう力を持つ作家は稀(まれ)の稀、世界的にみてもなかなかいません。ところが日本は特別で、そんな力をもった絵本作家がどんどん登場しています。理由は、そういった絵本の下地を作ってくれた作家がいるからです。長新太さんや谷川俊太郎さん、五味太郎さんなどです。
こうした作家たちは、「子どもを導く」気持ちはほとんどなく、「ものの見方」を絵本で提示しています。そういったジャンルに絵本をもってきてくれた功績は大きい。繰り返しになりますが、そういう絵本をちいさな子たちが喜び楽しむ。すると「ものの見方」が知らず知らずのうちに身についていく。そうなったら素晴らしいですよね。 - 戸田:
- そう思います。
- 有川:
- ちょっと最後のほうで力が入ってしまって、恐縮です(笑)。
- 戸田:
- とてもいいお話を聞かせていただきました。改めて「絵本の力」を感じます。今日もありがとうございました。
- 有川:
- ありがとうございました。
- 戸田:
- 絵本館代表の有川裕俊さんにお話をお伺いしました。
(2021.4.13 放送)
みず
五味太郎・作「みず」をいろんな角度から描きました。