本を読む人と読まない人。
これはつまるところ本をおもしろいと思う人と、おもしろいと思わない人の違いです。
大人が考えている以上に「おもしろい」は重要です。
知的な好奇心もエネルギーも「おもしろい」という壺のなかで醗酵しながら生まれ出るものなのです。
ほっておいても子どもは生まれたそばからおもしろいことが大好きです。
しかし近代ではおもしろいは勉強の妨げと考え、だんだん邪魔者あつかいされてきました。
その考えが増殖して肥大してきたのが現在の早期教育ブームです。
こんなことをしていては親子の関係で、いつかしっぺ返しがあることを覚悟しなければならないほどです。
絵本のことでも、子どもにとっておもしろい絵本が一番です。
ある一冊の絵本をおもしろいとおもう。
おもしろがっている自分がいる。
もう一人の自分をみるようなおもい。
人間はそんなところから個というものを意識していくものです。
個の誕生と同時に趣味の誕生です。
「おもしろい」は知的好奇心やエネルギーの孵卵器(ふらんき)だけでなく、個人や趣味人というものの基でもあるのです。
子どもにとって「おもしろい」とおもう絵本は実にいろいろです。
ビックリするほどいろいろです。
子どもがおもしろがる絵本を読んであげたり、おもしろがる様子を見ていたりするのはたのしいひと時です。
「この絵本のどこに魅力を感じているのだろう」子どもを見ているとそういった感想をもつことがたびたびあります。
「そうかおまえはこんな絵本がすきなのか」そんな心もちで子どもを見ていると、実に多くの発見があってたのしいものです。
子どもは小学生ぐらいまでは遊びの生活が中心です。
遊びのなかから学ぶことの芽や臨機応変の心もうまれてきます。
それが将来への計りしれない豊かな土壌となること請合いです、信じていい。