なぜ心ひかれるのか

子供の年齢に適した絵本がある。
これはうそです。
自信をもっていえます。
もちろん理由があります。
「家族みんなが楽しめる絵本でした」「一歳半の子供が夢中になったのには驚きました」など、おおくの読者カードを三十年ちかく読んできました。
ある一冊の絵本にたいするたのしかった、おもしろかったという読者の年齢はじつに多様です。
そんな読者カードを常日ごろ読んでいるわたしに「この絵本は何歳児向きですか?」と問われても、ほんとうに答えようがありません。
これが現実です。
心理学者の河合隼雄さんにインタビューする機会がありました。
終始にこやかに応対してくださり、たのしいインタビューでした。
そのときの写真がいま手元にあります。
河合さんの笑顔がじつにいい。
歳とともにこんな笑顔の人になれたらとおもいます。
そのインタビューの一部をご紹介します。

有川:
河合さんがお書きになったものに、「こういう仕事をしているから人の心が全部読み透せるように思われるが、そんなことは全然ない」と。
河合:
そう、全然ないことを非常によく知っているからこそプロだと思う。
有川:
なるほど。
河合:
素人の人は早くわかりすぎる。
それが怖いんです。

この話しから推測するとわれわれ絵本の業界にはプロはほとんどいないことになる。
子供の心を全部読み透かせると、おもっている大人の集団、絵本の業界はそんな大人の集団なのではないかとおもってしまう。
「この絵本は何歳児向きだ」「この本は低学年向きだ」と平気で言いきる人がいくらもいます。
裏表紙に印刷してある会社まである。どんな科学的根拠にもとづく考えなのか聞いてみたいものです。
河合さん流の考えにしたがえば、そのような人は絵本の素人であってもプロではない。
そんな素人の話しをありがたがって聞く人々、「怖いんです」にはそんな意味もあるような気がします。

近所に一歳一ヶ月の孫がいます。その子の母であるわたしの娘が『勧進帳』のDVDを買ってきました。娘とわたしが観ていると、孫も静かにじっと見ています。
『勧進帳』のどこに心ひかれているのでしょう。まったくわかりません。
その孫がいま気にいっている絵本があります。娘によると高畠那生さんの『チーター大セール』だそうです。
「一歳や二歳の子供がなぜこんな絵本を好きになるのか、どこに心ひかれているのだろうか」そうおもった絵本は今までいくらもあります。
たとえば『変なお茶会』『とにもかくにもすてきななかま』『ゴリラのビックリばこ』。これらの絵本を手にとって見てください。
「へえ、一歳や二歳の児がこんな絵本を好きになるのか」、これらの絵本を見ると、そんな感想をもつことになるとおもいます。
絵本のどこに、なにに、心ひかれているのか三歳でも五歳でも、ましてや一歳の児は聞いても答えられません。
にもかかわらず明言する大人たち。
それも素人からは専門家、プロだと思われている。不思議ですよね。
これも早わかりの罪の一つだとおもいます。
われわれ大人の想像の範囲内に子供を閉じ込めるのは、親にとっても子供にとっても得なことではありません。

先ほどの河合さんのインタビューにもどります。

有川:
ここに、ある絵本にたいする和田誠さんが書いた文章があります。
大事なことが書いてあります。
「絵本のことで子どもにわかるだろうか、と大人はよく言う。
逆なのである。
大人にわかるかなあ、というのが正しい」。
河合:
ここに書いてある通りです。
一般の人が分るといっているのは「自分なりの因果関係のシステムに入る」というのをいうのです。
有川:
なるほど。
河合:
自分なりというのが恐ろしいんです。
大人は分る体系を持っているから、自分の体系と違うものが来ると、もう分らん、あるいは拒否。
人間そんな簡単なものじゃないでしょう。
そういう分るが、すごく恐ろしいんですよ。

まさしく逆転の発想です。
子供はもうすでにその子供なりにおもしろい、たのしい、ゆかいを持っている。そう考えてみてください。そうおもうと子供にたいする風景ががらりと変わります。
大人の安直な分るという決めつけが子供の選択の幅をせばめる結果になっている。そのことに気づくでしょう。もったいないことだとおもいませんか。子供の選択の幅だけでなく可能性をもせばめているのです。

最近聞いてびっくりした話しがあります。
読み聞かせの講習会で女性の講師が井上洋介さんの絵本にたいして「こんなシュールな絵は子供に害があってよくない」と強い口調で言っていたそうです。
そういう時は是非「どんな根拠があっての発言ですか」と聞いてみてください。
そういう人は何かの本を読んで、あるいはだれかの話しを聞きかじって、すぐその気になったのでしょう。
おっちょこちょいと言えばそれまでですが、初めに河合さんが言った「素人の人は早く分りすぎる。それが怖いんです」の具体的な例です。
まさしく「自分なりの因果関係のシステムに入って」いないものは分らない、あるいは拒否。じつに恐ろしい単純な思考パターンです。
この講師に先ほどわたしが紹介した絵本を示したら何歳児向きというのでしょうか。たぶん子供には害がある絵本に指定されるでしょう。害があるのは、絵本ではなくこの単純思考パターンの大人です。

大人はこの「自分なりの因果関係のシステム」に閉じこもるのではなく、それとまったく反対の立場に立ったほうがいい。
具体的にいうと、親は「この絵本のどこに心ひかれているのかしら」と、ゆったりした気持で子供を見る。その子なりの感受性をにこにこしながら見る。
なにしろ小さな子供ほどいろいろなものに心ひかれているのですから、子供をにこにこしながら見る機会はいくらもあります。
親にとってこの時間は特別なものです。いいもんだとおもいますよ。

心ひかれる。いい言葉でしょう。
つまりおもしろいからあるいは気になるから心ひかれているのですよね。
だから大人が考えるより子供にとっておもしろいは大事です大人たちはおもしろい絵本は役に立たないとおもいがちです。しかしおもしろい、ユーモアは実は役に立っているのです。
言葉に対するセンスとか、気持を明るくさせる方法とか、考え方にはいろいろな道筋があることとか、人とコミュニケートする能力とか、いろいろ役立っている。
いつ役立つか分らないけど知らず知らずのうちに役立っている。気がついたら役立っていた。
これがいい。そうおもいませんか。読書とは本来そういうものです。

人間そういう経験を何度かするうちに、確かに「あるものが身に付いた」といえるようになります。そのことを教養といいます。
なにごとも夢中になってやっていると、力も自然とついてくる。
いま子供にとって問題なのはなにも夢中になるものがないことです。
子供が自ら考え行動する癖を身につけるか、つけないか。ここはその子の人生にとっても重要なところです。
そのためには大人が子供にたいして心しなければならないことがあります。子供が夢中になっているとき、大人はそのじゃまをしないことです。
ついつい大人は教育的な見方で絵本をみてしまいます。知的に考えて考えてなにが役だつだろうかとおもってしまう。しかしそこには大事なものが抜けおちてしまっています。目先の役立つだけを気にしておもしろいを無視してしまいがちです。
なによりおもしろくなければ長続きもしません。つまり夢中になることも心ひかれることもないということです。
子供にとっておもしろいがいかに大事か。
すこし長くなりますが最後も河合さんの言葉でしめくくることにします。

河合:
おもしろいというものは生きている人間の何かが動いているわけです。
人間が感動して心が動いているということは、それは次に続いていくし、行動にもつながっていく。
そんなにおもしろいんだったら次を読もうとつながっていく。
ボランティアでもそうでしょ。
人のためというよりは、やっているうちにだんだんおもしろくなっていく。
人のためだけにやっているボランティアは長続きしない。
やっているうちにやっぱりおもしろいわ、というのが出てこないと長続きしない。
おもしろいというのは自分が生きているということですね。
生きている感じ。
何でも、知的に知的に考えますから、生きているという感覚がだんだん減っている。
もういっぺん、元に返して人間の根本をゆさぶるいうんですか、あるいは人間の根本を動かす力を、おもしろいということはもっているのですね。
それだけで効果があるということをもっともっと言っていいと思う。

わたしからも最後に一言、「だから絵本はおもしろいが最優先です」。

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