専門家はまちがう

バブルの崩壊を予見した人は一人もいなかったのに、経済の専門家はたくさんいるし。いま体にいいと脚光のイワシなど青魚を、15年前の専門家は栄養価が低いとバカにしていたし。原子力、教育、コンクリート、医療、金融と多くの専門家がいる。そしてまちがってきた。
にもかかわらず専門家は儲かり、その上、責任もとらず、市井の人々はただ馬鹿をみるだけ。
そしてほとぼりが冷めると、またその専門家を使うジャーナリスト。
なにを考えているのでしょう。
専門家を信用しすぎるとろくなことがない。すこしは過去に学ばなければね。

「良い絵本」は子供を本好きにする力をもっている、という専門家がいる。
だから「良い絵本」を『読み聞かせ』ようという。本当だろうか。
今よりも10年前、10年前より20年前のほうが『読み聞かせ』運動のエネルギーは大きかったのに、子どもが本好きになったという話はあまりきかない。
作文を書かせると子どもに文章力がつくという。だから課題図書だ、という。
「てにをは」もよく分からない小学1、2年生に感想文を書かせる。
苦行以外のなんなんだろう。

ぼくは、今までの読書運動が重要なことをひとつ抜かしてきたんだとおもう。
本に対して受身な人で本好きな人はいない。
本を与えられてばかりいる人(子供)が本好きになるわけがない。
本好きな人は本に対して積極的、「どの本を読もうかな」って。
この過程を抜きにしては、本を趣味にし、愉しめる人にはならない。
子どもが絵本を選ぶ。するとその子どもの今まで見えなかった気質や個性が見えてくる。
だからおかあさんは子どもを見守って育てることが、子どもが育っていく様子を見ることが、楽しくなるし、余裕もうまれる。

親は「良い絵本」を見つけようとするのでなく、自分の子どもはどんな絵本を楽しむ傾向があるのか、そう考えたほうが得だ。
人間には「好きなことなら、どんな努力も苦にならない。」という法則がある。
ところでこの種のインチキな専門家を見分ける方法がある。
その種の専門家と称する人は結果、人々をおどしている。やさしい言葉でおどしている。
変に「説得力があるな」とおもっても、すこしでもおどかされているようなら要注意。
そんな専門家の話をマジメに聞いていると、子育てがだんだんストレスになりますよ。

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