想像力が自然にうまれる絵本

必然的に想像する

石山:

有川さんは『ふんがふんが』をとても推奨されています。文字が少なくて物足りない感じがするのですが、その魅力のポイントは、なんでしょうか。

有川:

文字が少ないと物足りなく感じる人は多いかもしれません。しかし、実は文字の少ない絵本だからこそのおすすめポイントがあるんです。

石山:

それは、ぜひ知りたいです。

有川:

手にとればすぐわかりますが、この絵本は「ふんがふんが」という言葉だけで構成されています。どのページを開いてもゴリラが「ふんが ふんが」「ふんが!ふんが!」「ふんがー、ふんがー!!」だけです(笑)。

石山:

そうですね(笑)。

ふんがふんが

ふんがふんが
おおなり修司・文/丸山誠司・絵 「ふんが」の3文字のみで語られるゴリラパパの奮闘記。
有川:

言葉はそれだけなのに、ゴリラの気持ちが手にとるようにわかる。

石山:

そう、そうなんです。

有川:

それは「想像力」が、ごく自然に読む側、子どもにうまれてくるからです。
言葉は「ふんがふんが」だけなのにゴリラの気持ちがよくわかり、ちゃんとストーリーが浮かび上がってくるでしょう。

石山:

ええ、その通りです。

有川:

ストーリーを浮かび上がらせているのは、読者です。子どもは画面の絵を見ながら、大体こうであろうと予測する。なにかに気づくんですね。それが想像です。

石山:

なるほど。

有川:

『ふんがふんが』を読む、あるいは読んでもらうと、子どもは必然的に想像する側にまわることになります。
絵本での想像力というものは、こうやってうまれでるのかもしれません。そんな気持ちになるでしょう。

石山:

そうですね。

有川:

読む側の想像力がうまれてくる。素晴らしい絵本です。

石山:

シンプルだから物足りないかなと思いきや、とても大きな力をもった絵本なんですね。
読者の想像力をうみだす絵本。ここに有川さんのおすすめポイントがあるんですね。

有川:

そうなんです。
コラム①

近くの小学2年生が、町探険でお店にやってきた。
『ふんがふんが』を読んだ。翌日、先生に「あれから子どもたちが、“ふんがふんが” ばっかり言っている」と聞いた。
セリフがこれだけの本なのに、ものすごいインパクトだ。
あんまりおもしろかったので、妻がゴリラのぬいぐるみを作った。お店に飾ったところ、訪れたお客さんみんなに喜ばれています。(山梨県 卓示書店 渡辺卓史さん)

ゴリラのぬいぐるみ

絵を見る・絵を読む

有川:

また絵本館には、ふたつの言葉だけで展開する絵本もあります。
『みて!』は、主人公の女の子の「みて!」と「みた!」という言葉だけで展開します。
この言葉だけで、女の子の気持ちはもちろんのこと、周りのひとたちの気持ちや状況までも手にとるように伝わってきます。

みて!

みて!
高畠那生・作 みて!このダイナミックなあっけらかんさ。
石山:

こうした展開は「絵本ならでは」ということでしょうね。

有川:

まさに絵本だからこその表現です。
こういった絵本では、子どもは「絵を見る」だけでなく「絵を読む」も同時にやっているんですね。

石山:

なるほど。でも「想像力がうまれる絵本」は、今まであまり話題になってこなかったように思いますが。

有川:

残念ながら、まったく話題になってきませんでした。

石山:

おおきな力をもった絵本なのに、もったいないですね。

有川:

本当にそうです。
絵本としては、これまでの絵本とは異なる新しいジャンルの絵本だと言えます。ですから、まだ数はとても少ないんです。

石山:

そうなんですね。

有川:

では、ここで問題です。
「想像力がうまれる絵本」の特長とは、どんなところだと思いますか。

石山:

とてもシンプルですよね。

有川:

そうです。
シンプルだから省略や飛躍が多い。
省略や飛躍が多いと当然、文字が少なくなります。表現は説明的にはなりません。

石山:

でも、その「省略と飛躍」というのは、子どもにはむずかしくないですか。

有川:

意外ですが、子どもは省略、飛躍を苦にせず自然に受けいれることができます。それが子どもの特徴です。
考えてください。赤ちゃんは、まっさらに何も知らない。しかし不安にはならないでしょう。子どもにとって「知らない、わからない」は、まったく平気です。「知らない、わからない」で不安になるのは、大人です。だから、子どもは省略・飛躍を苦にしません。

つぶやく絵本

石山:

でも、どんな絵本でも「想像力をうみだす」ということではないでしょう。

有川:

そうですね。
これまでの絵本は文章が説明的、そのうえ絵もその文を更に説明しようとしている。つまり省略や飛躍がほとんどない。
そういった絵本では、「みえない部分を自分でおぎないながら読む」ことができません。

石山:

そうか、省略や飛躍があると「みえない部分」を、知らず知らず自分で「おぎないながら」考えるということですね。
でも、やっぱり子どもには、少しむずかしそうだなあ。

有川:

できます。わたしにはそう思う理由があるんです。

石山:

確信されている。

有川:

そうです(笑)。
たとえば、もう一冊『妖怪俳句』。
「おぞうには かくごをきめて いただくの」。
この句と絵を見た子どもは、「だって、ろくろっくびだよ。おもちなんか食べて大丈夫?」とか、「だめだめ、食べないほうがいいよ」などと、思わずつぶやくかもしれません。

石山:

そうですね(笑)。

妖怪俳句

妖怪俳句
石津ちひろ・俳句/広瀬克也・絵 おなじみ「妖怪シリーズ」の妖怪たちが、俳句で風流に挑戦!
有川:

このつぶやきが、想像力の芽生えです。なにかに気づくんですね。
わたしはこの45年間、たくさんの子どもの様子を見たり聞いたりしてきました。
大人気の『パンダ銭湯』だけでも、どれほどの読者カードを読んできたか。
読者カードを読んでいると読者の年齢は、実に多様です。絵本では「何歳から」「何歳向け」などと言いますが、そんなことはないと実感します。はっきり言って年齢は関係ありません。
パンダ銭湯
tupera tupera・作 いま、明かされる「パンダのひみつ」
たとえば、『もこ もこもこ』(文研出版)という絵本があります。谷川俊太郎さんの文(言葉)と画家の元永定正さんの抽象画です。言葉は「もこもこ」とか「にゅ~」とか「にょきにょき」という音だけ。絵は抽象画ですから何が描いてあるかわからない。
でも、この「わけのわからない絵本」は、子どもに大人気です。このリズミカルで音楽のような心地よさをたのしんでいるのだと思います。
『もこ もこもこ』を手にとってみると、絵本を選ぶのに子どもの年齢を気にすることはないと実感できます。
絵本を選ぶときに、年齢にとらわれると子どもの多様性をせばめることになります。年齢が関係ないことは、何歳の子どもにでも、ためしに『もこ もこもこ』だけでなく『ふんがふんが』を読んでみるとわかります。
大人が思っている以上に、子どもの感受性・ 想像力はすごい、そう思って間違いありません。気楽に考えて、もっと子どもを信じてほしいものです。すると子どもはのびます。

石山:

「子どもに分かりにくいのでは」というのは僕の杞憂ですね(笑)。

有川:

ええ、大丈夫。安心してください(笑)。
コラム②

『妖怪俳句』は、娘(2歳になったばかり)が大好きな絵本です。寝る前に「はいくー!」と言いながら本棚から持ってきます。驚くことに、お気に入りのページの俳句は暗記してしまいました。「自分で読める!」ということも楽しくてたまらないようです。(読者の声)

有川コメント
2歳になったばかりの女の子。
なにが理由で好きになったか、親でも当人だってわからないですよ。しかし、なにかに気づいたんですね。

本好きにはならなかった

有川:

わたしは、絵本には大きくわけると2種類あると思っています。
これまで紹介した「省略や飛躍の多い絵本」がひとつ。
もうひとつは、省略や飛躍の反対で説明的になっている絵本です。
子どもが読むからと、「親切ていねいに説明しよう」という絵本がとても多い。

石山:

今でもそういった絵本は多いですね。

有川:

かなりの絵本がそうでしょう。
そのうえ、多くの大人は「評判の絵本をたくさん読んであげれば、子どもはおのずから本好きになる」と、なんとなく思ってきました。

石山:

確かに、ばくぜんとそう思っていました。

有川:

もしそれが現実になっていたら、今ごろ、本好きな大人で日本中あふれかえって、本屋は大繁盛ということになっているのではないでしょうか。

石山:

そうであってくれたらいいなあ、と思っていましたが現状は、さびしい限りです。

有川:

「あれほど絵本を読んであげたのに、子どもは本好きにはならなかった」と思っている親御さんは、たくさんいるでしょう。

石山:

そう、そこなんです。僕も不思議に思うのは。なぜ、たくさん絵本を読んであげたのに、本好きにならなかったのでしょう。

有川:

今までの絵本の作り方にも問題があったのだと思います。

石山:

どのような問題ですか。

有川:

出版社は子どもにわかるように理解しやすいように教え導く方向でやってきた。更に、親も同じく「子どもに読むのだから説明的でわかりやすい絵本がいいだろう」。そんな思いで長年子どもたちに絵本を読んできた。そういった大人の側の問題です。

石山:

すると子どもはどうなるでしょう。

有川:

受け身になってしまいます。
子どもが自分で「おもしろい本はどれだろう」「あの本が読みたい」と本を選ぶ。そうした自分で選ぶ能動的な心の動きが、本好きになるためにはどうしても必要です。

石山:

読書のたのしみは、本を選ぶことからということですね。

有川:

そうなんです。
絵本は与えるものではありません。子どもが自分で選ぶ。本好きになるためには、そこが一番大事なところ、肝心要と言っていいでしょう。本が好きな人は自分で本を選ぶ、その時間がたのしいのです。
受け身になって本好きになるのは、大人でも子どもでもむずかしいと思います。
昔と比べて豊かになった今、大人は子どもに、絵本に限らず「与えよう、与えよう」となり、その結果、受け身の子どもが増えてきた。

石山:

なるほど。そうすると「今後、大人はどうするべきか」ということになりますね。

自分で感じとる

有川:

映画監督の黒澤明さんが「美しいというものは説明することはできません。自分で感じとるしかないのです」と言っています。
このようにものごとを伝えることは、実はとてもむずかしいことなんですね。
上手に説明すれば、人や子どもはすぐわかるようになると思ってきた。しかし、そう簡単なことではなかった。
たとえば「やさしさ」とか「親切」を考えてみてください。簡単に説明することはできません。子どもが自分で気づき感じとるしかないのです。
ていねいに説明、指導するのに伝わらない。ここに教育のかかえている大きな課題があります。

石山:

たしかに手取り足取りやっても伝わらない、大事なことほど伝わりにくいのかもしれませんね。要は「感じとれるか」「感じとれないか」ですね。

有川:

まさにそうです。
この黒澤さんの文で大事なところは、石山さんの言うとおり「自分で感じとる」というところです。その前に「説明することはできません」とあります。
いくら上手に説明しても、そう簡単にはその人のものにはならない。身につきにくい。身につけるためには自分で気づき感じとるしかない。
感じとるためには何が必要か。そのためには自分自身の心が動きださなくてはなりません。
絵本を読んでもらっても、子どもが受け身でいることに慣れてしまっては「自分で感じとる」力にはならないでしょう。
絵本にかかわってきた大人たちは、子どもが感じとっているのか、いないのか、子どもの心が動いているのか、いないのか。それをあまり問題にしてこなかった。ただただ教えよう伝えようとしてきた。

石山:

一番大事なところを見ていなかった、ということになりますね。では、どうすればいいのでしょう。

あくまで正直に

有川:

主体は、あくまでも子ども。子どもが受け身になってはいけません。
「好きかそうでないかの判断を正直に下していくと、次第に鑑賞力も長足の進歩をとげ、さらに深く楽しむことができるようになります」。
これこそ趣味の誕生です。
趣味の誕生ですから当然、読書にもつながっていくでしょう。
これは九州国立博物館の館長・島谷弘幸さんの「書の楽しみ」という文の一節です。

石山:

絵本にもあてはまりそうですね。

有川:

そうなんです。
絵本にもかくされた部分、絵本のあじわい、というものがあります。それは子どもでも感じとれるものです。
この島谷さんの文は、書について書かれたものですが、その書のところを、絵本におきかえて、繰り返しになりますがもう一度読んでみましょう。
読んでもらった絵本を子どもが「好きかそうでないかの判断を正直に下していくと、次第に鑑賞力も長足の進歩をとげ、さらに深く楽しむことができるようになる」。
絵本にもあてはまるでしょう。
一冊の絵本を「好きかそうでないか」、自分で正直に判断していくと、子どもにも感じとる力が自然についていくのです。

石山:

大人がそうした思いで子どもに対していれば、子どもが主体になっていきますね。

有川:

そうだと思います。
子どもが主体になって、受け身にはならないでしょう。

ただやさしく、あたたかく

有川:

黒澤さんが言う「自分で感じとる」、そのためには子どもが「好きかそうでないかの判断を正直に下していく」、それこそが「自分で感じとる」最良の道だと思います。
人生のはじめに子どもが自分の「好きかそうでないかの判断を正直に下していく」のに、絵本ほど適したものはないと思います。

石山:

「正直に」というところがむずかしいかもしれませんね。

有川:

なによりも子どもの「好き」を第一に考え、まわりの大人がよけいなことを言わなければ大丈夫です。
名作だとか、評価が高い絵本だとか、ましてや子どもの年齢に適した絵本とか、そういった先入観にとらわれてはいけません。
「この絵本は“5歳から”と表記してある。うちの子どもは4歳だからまだ早い」とか、「うちの子どもはちょうど5歳だけど読んであげてもまったくよろこばない。ちゃんと育っているのかしら?」とか、逆に「うちの子は6歳、この絵本の対象年齢を過ぎている、内容が幼稚かもしれない」と考える。これでは子どもを無理に年齢別という型にはめようとしている。
この種の考え方に共通しているのは、絵本が「主体」で、子どもが「従」、その次になっているところです。あくまで「主体」は、子どもでなければなりません。

石山:

そういった様子は店頭でよくみますね。

有川:

その子の「好きかそうでないか」を、ただただやさしくあたたかく見守ってほしい。
絵本にたいしては、どの子にもかならず「好きかそうでないか」はあります。だから、子どもの「正直」な気持ちを大事にしてください。子どもの「好きかそうでないか」を尊重しましょう。

石山:

そういう思いで子どもと接していたいですね。
でも、変な絵本を読んであげてもいいのでしょうか。

有川:

大丈夫です。
子どもがどんな絵本を「好き」になっても心配することはありません。そのくらいおおらかな気持ちでいて下さい。そうしたおおらかな気持ちの大人がまわりにいることのほうが、子どもにとって大事なことです。
どんな絵本であっても「好きかそうでないか」を決めるのは子ども自身です。それに自分で決めていけば、絵本を見る目も次第についてきます。なにごとも失敗しながら、反省しながら上達するものです。

人を見る目

石山:

すると、この「好きかそうでないか」は、絵本だけではなく、その子の人生のありとあらゆることに関わっていきそうですね。

有川:

まさにそうです。
しかし注意しなければいけないのは「好きかそうでないか」であって、「好きか、嫌いか」の二択ではありません。

石山:

「好きかそうでないか」と「好きか、嫌いか」では大きな違いがありますね。

有川:

この「好きかそうでないか」は絵本だけでなく、食だったり、服装だったり、書も、映画も、美術も、詩も俳句、もちろん書籍など生活全般にかかわるすべてに関係するでしょう。
「好きかそうでないか」を繰り返していると、とても大事なことですが人を見る目にもつながっていくでしょうし、その子の個性もはっきり見えてくると思います。

石山:

すると、有川さん。どんな絵本がいいのでしょうか。

有川:

読んであげる大人が「おもしろい」「たのしい」、つまり「好き」を基準に絵本を正直に選んでください。
それでも、やはり子どもにとっての「好きかそうでないか」ですから、子どもや孫が好きな「ユーモア」「のりもの」「おばけ」「たべもの」などをたよりに選んでみるといいでしょう。
「この絵本は子どもにはちょっとむずかしいかな」と思うくらいが、ちょうどいいと考えてください。
それに大人が自分で気に入った絵本を読んであげる。それは思いのほか大切なことだと思います。

余白を読む

石山:

しかし、有川さんとしては「ぜひ、この絵本をすすめたい」という考えがあるんでしょう。

有川:

さきほど絵本は2種類あるといいました。
一つは知識や物事だけでなく、気持ちのもち方、あり方までも教えようとする絵本。
もう一つは、すでにお話しした省略や飛躍がたっぷりの絵本です。その省略・飛躍のある絵本が子どもの想像力をうみだす絵本だと思っています。
わたしが今までお話した絵本は、まちがいなくどれも子どもの想像力をうみだす力をもった絵本です。手にとって見ていただければ、すぐに納得できるはずです。

石山:

想像力をうみだす絵本、たしかにいいですね。大人が読んでも『ふんがふんが』や『妖怪俳句』、おもしろいし、たのしい。

有川:

おもしろいし、たのしいは子どもでも大人でも大事なことです。
コラム③

おもしろいというのは、生きている人間の何かが動いているわけです。人間が感動して心が動いているということは、それは次に続いていくし、行動にもつながっていく。そんなにおもしろいんだったら次も読もうとつながっていきます。
(河合隼雄さんの言葉より)

石山:

ところで想像力をうみだす絵本とは、どんな特徴をもっているんですか。

有川:

これらの絵本には、読者が自分で感じとれるような仕掛けがあります。

石山:

どんな仕掛けでしょう。

有川:

繰り返しになりますが、絵本の文と絵本の絵にある微妙な余白、つまり省略や飛躍がある絵本です。
その余白が子どもには、ちょっとわかりにくそう、と思われるかもしれません。
ところが、この一見わかりにくそうな絵本の省略や飛躍、つまり「みえない部分」に橋をわたす作業、あるいはおぎなう作業を子どもは知らず知らずのうち自然にやるんですね。すると、子どもはなにかに気づく。
この「みえない部分」に橋をわたす作業、おぎなう作業が絵本のつくりだす想像力だと思います。
『妖怪俳句』でもお話した「だめだめ、ほんとに食べるの!やめたほうがいいよ」という、つぶやき。それが想像力の芽生えです。
「かくされた部分」、余白があるからこそ、つぶやくことができます。このつぶやきが気づきです。
この想像力が芽生える「かくされた部分」、余白をもつ絵本、それとは反対に余白のない芽生えがのぞめない、子どもの想像力をうみだしにくい絵本があると思います。
おぎない想像している自分、そんな自分に気づく。それだけでなく、そういった自分をまんざらじゃないと感じる自己肯定感。
そうした自分にたいする自信が想像する意欲をうみだす源泉になっていくのではないでしょうか。
そのうえ、この自己肯定感は創造する力にもつながっていくと思います。
コラム④

『ふんがふんが』を読んであげたら、車の後部座席で女の子の孫二人が、ずっと「ふんがふんが」だけで会話をしていました。なにか二人で創りだしているようで、ほほえましくうれしくなりました。(読者の声)

有川コメント
創造力もこんな絵本の余白をきっかけにうまれてくるのでしょうか。

意欲が湧きでる

石山:

その意欲のあるなしが、書籍にたいする好みにもつながるんでしょうね。

有川:

そうだと思います。
想像する力が動きださないと読書の楽しみを見いだすのは難しいでしょう。
読書、本を読みたいと思う気持ちの元は、知的好奇心です。ではどうすれば知的好奇心はうまれでてくるのか。
「選択とはそのこと自体が知的行為である」。京都大学教授・桑原武夫さんの言葉です。わたしは、この言葉が大好きで金言だと思っています。
子どもは絵本を読んでもらうだけでなく、自分で「好きかそうでないか」の判断、つまり選択をする。要は知的行為を繰り返す。
その結果、気がつくとある日「本好き」になっていた。
それが「本好き」になった多くの人がたどった道のりだと思います。
その意欲やたのしさが知的好奇心の大元になっているのでしょうし。

石山:

たしかに意欲だけでなく、たのしくなければなにごとも続きませんね。

有川:

そうです。
なにより大切なことは、子どもが絵本をたのしんでいるかどうかです。
いままであった多くの絵本は、子どもになにかを教えようという大人の思いが透けていました。ですから、文も絵も説明的になっていた。
子どもも説明的な表現に慣れてしまって「自分で感じとろう」という意欲が湧きでてこなくなっていたのではないでしょうか。
受け身ではなにも動きだしません。

石山:

そこに評価の高い絵本をたくさん読んであげたのに、本好きにつながらなかった理由があるんでしょうか。

有川:

それもあると思います。
絵本を読んであげているのは大人、読んでもらっているのは子ども、その子どもが「好きかそうでないかの判断を正直に下していくこと」を、いままで大人は気にかけずにいたのではないでしょうか。そこに本好きにならなかった理由があったと思います。

石山:

では、どうすれば子どもがその絵本を「好きかそうでないか」がわかりますか。

有川:

子どもが「もう一回読んで!」と持ってくれば、その絵本が「好き」ということだと思います。
反対に「また読んで」と言ってこなければ「好きではなかったのかな」と思っていいのではないでしょうか。

石山:

確かにそうですね。
今まで大人は子どもの「好きかそうでないか」を気にしてこなかった。その結果、子どもの自主性が育たなかったのかもしれませんね。

品がいいとは

有川:

もちろんそれだけではないでしょう。

石山:

たとえば?

有川:

読書感想文です。
たとえば知人の家に招かれ、食事を共にした。食後、料理の感想を根掘り葉掘り聞かれたら、いやになって、もうその家には行きたくありませんでしょう。
学校では読書に限らず、これと同じようなことを長年やってきました。学校に「行きたくない」という子どもがでてくるのは、ごく当たり前です。
子どもたちに何かさせたら、先生はその思いや感想を聞きたがる。その上、文章まで書かせる。子どもが嫌になるのは当たり前です。いつからこんなことを始めたのか、文科省の悪いクセというより余計なおせっかいです。
子どもも個人です。大人にはしないことを子どもだと平気でする。子どもが思ったり感じたことを聞きたがる。はっきり言って品がいいとは思えません(笑)。

石山:

そうかもしれませんね!(笑)
僕も小学校の頃、読書感想文は嫌でした。

有川:

課題図書を含めて、読書感想文を書かされて、どれほどの子どもが本を嫌いになったことか。
逆効果を60年以上もやってきたんですから、死屍累々、暗澹たる思いがします。本が売れなくなる訳です。

石山:

自分がやらされて嫌なことを、他人にはする。先生と言えども良くありませんね。

有川:

となると親は夏休みの課題図書にどう対応したらよいか。
答えは、大人がさっと感想文を書いてあげて、子どもに負担をかけない。あるいはチャットGPTかな(笑)。
それより「やらなくてもいいから。大丈夫、遊んでおいで」と言ってあげるのが最良ですが(笑)。
コラム⑤

(前略)子どもたちのためによい本を、あるいは害のない本をということなのでしょうが、それは大きなおせっかいというものです。いつどこでどんな本に出会うかというスリリングさが本の命ですし、それが有益か無益か、有害か無害かは、まさに読書そのもののお楽しみなのです。そこのところをまったく知らない大人、つまりあまり本が好きでない大人が子どもの本の世界をめちゃくちゃにします。
出版社と広告代理店が書籍の売り上げアップをはかって計画したのが課題図書、作文コンクールだという事実、ご存じでしたか。
(五味太郎著『大人問題』講談社より)

2600年前から

石山:

(笑)。有川さん、最後は明るい話で締めくくってくれませんか。

有川:

はい、そうしましょう。しかし明るい話になるかな?(笑)。
ある物事、たとえば絵本をよく知っている人と絵本を好きな人と、どっちがエライか。また、絵本を好きな人と絵本をたのしんでいる人と、どっちがエライでしょうか、と言っている人が2600年前にいるんです。

石山:

だれですか。

有川:

孔子です。
『論語』では、知っている人よりも好きな人のほうが上、好きな人よりたのしんでいる人のほうが上だ、と孔子は言っています。
絵本でいえば、絵本を知っている人や好きな人より絵本をたのしんでいる人、つまり子どもが一番上といっているようなものです。
太古の昔から「たのしむ」が大事なのです。
好きな絵本をたのしんでいる子ども、その子どもをまわりのわれわれ大人は、あまりいじらず大切にしていきたいものですね。

石山:

まったくそう思います。
有川さん、他にもおすすめの「想像力がうまれる」絵本がありますか?

有川:

よくぞきいて下さいました。
『うみのむこうは』『おとうさんのえほん』『ジロッ』『はしれはしれ』など、絵本館には「見えない部分を自分でおぎないながら読む絵本」が、まだたくさんありますが、ことに「想像力が自然にうまれる絵本」といえば、なんといっても『うみのむこうは』です。

石山:

くわしくおきかせください。

有川:

締めくくるはずが、終わらなくなってしまいそうですが(笑)
ジロッ
おおなり修司・文/たけがみたえ・絵 ジロッっと見たり見られたり、パクッと食べたり食べられたり。
はしれはしれ
きむらよしお・作 ライオンとラクダの気持ちが手にとるようにみえてくる。 絵本は、こんな表現もできるのか。

理屈は抜き

うみのむこうは
五味太郎・作 自然と想像する力がわいてくる、こころがふるえる、そんな絵本です。
有川:

『うみのむこうは』は、ひとりの子どもが海を眺めながら「うみのむこうって、どんなところかな。だれがすんでいるのかな」と思いをはせる絵本です。

石山:

「思いをはせる」と言われると、そうですね。

有川:

この子どものうしろ姿が読む者の気持ちを広げていきます。読者はページをめくっていくうちに、この子と同じように海をみていることに気づくことでしょう。

石山:

うしろ姿だから、よけい想像力がかきたてられますね。

有川:

「絵本がうみだす想像力」となると、なんといってもわたしは、この『うみのむこうは』ということになります。
理屈は抜き。
見ていただければ、みなさん「なるほど、想像力が動きだす」と思われることでしょう。
そこで、4画面の見開きページを準備しました。

うみのむこうは

うみのむこうは

うみのむこうは

うみのむこうは

イギリスでも大爆笑

おとうさんのえほん
高畠純・作 いろんな動物のおとうさんが登場!
有川:

欲ばって、もう一冊どうしても紹介したい絵本があります。『おとうさんのえほん』です。
どうぶつのおとうさん8人(?)が登場するオムニバス絵本です。
とにかく、どのおとうさんも愛嬌があってかわいらしい。

石山:

なんともおおらかなおとうさんがいいですね。

有川:

吹きだしたり、あきれたり、ちょっとした仕草や表情から
このおとうさんたちの気持ちがよく伝わってきます。
高畠さんは、そんなおとうさんたちの様子をユーモアたっぷりに描いています。なにしろユーモアは絵本にとって大切な要素ですから。
それに「絵を見る」だけでなく「絵を読む」クセが自然につく絵本になっているのも魅力です。たのしんでいるうちに自然と想像力がうみだされます。

石山:

よくわかります。なんともユーモラスな表情がいいですね。

有川:

以前、高畠さんがイギリスの小学校を訪れたとき、この絵本を読んだら、400人ほどの子どもが大爆笑だったそうです。
ゴリラの子どもの気持ちに気づいたんですね。みんな絵本には描かれていない余白をうめて、たのしんでいたのでしょう。

石山:

高畠さんのユーモアをイギリスの子どもたちも、想像力を広げてたのしんだということですね。

有川:

絵本は、どこの国の子どもにも普遍的な力をもっているんですね。なにしろ、文も絵も同時に使えるんですから、どこの国の子どもでも
たのしめます。

おとうさんのえほん

おとうさんのえほん

おとうさんのえほん

おとうさんのえほん


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